きみと春のはじまりを｜リアクション

きみと春のはじまりを

　珍しいなとは思った。どういう風の吹き回しなんだろうかと興味も持った。
　……でも、水上桜はそれを口に出さぬまま九夜山へと赴いて、若干の後悔が汗となって吹き出している。
（待って待って、状況を整理しよう？）
　今、自分はデート中。もちろん相手は滝沢匠で、彼の硬派さや誠実さは間違いないと揺るがぬ確信もある。
　何せ生真面目な彼は、このクリアドーム内の設備を点検しながら、どれが自由に使えるもので、どれが追加料金がかかるものかも確認してくれていた。もし何か興ざめするような馬鹿騒ぎをする気なら、そんな細かいところまで見ないはずだ。
（そ、それって私と……）
　男女が個室でご宿泊。することなんて相場が決まってそうでいて、そんな気配などどこにあったかと桜は自問自答する。気を緩めれば浮かびそうになる妄想の断片は、あの耳年増な友人のせいに違いない。そう言い聞かせることで自分を正当化しようと、桜は気合いを入れて荷物を改めた。
（大体、そんなことを考えるなんて滝沢君に失礼よ）
　冷静に道中を振り返っても、とくにこれと言っておかしなことはない。
　確かに彼は、おしゃべりなほうではないので、裏の意図があるのかなんて察しきれないこともあるだろう。でも、さすがに何かを特別意識していれば、隠し事の気配は察知できる……はず。
（そういえば、ロープウェイの中で……ちょっと変だった？）
　あのとき、やけに窓の外ばっかり見ていた気がする。話しかけても反応が半拍遅れてたのは、遅くまで勉強していたか、今日の準備が楽しみだったのかなとも思って気にしてなかったけど。

　――準備。

　ふわふわとした空想が艶めかしさを帯びる前に、桜は思い切り頭を振って雑念を全力で追い出した。
「水上、シャワー浴びてくるか？」
「…………え゛っ!?」
　太陽もさんさんと降り注ぐ明るいうちから、何を言っているんだろう。緊張と動揺とで裏返った桜の声は、匠の目を丸くさせた。
「ここまで来る途中、汗かいたって言ってなかったか？　……これ、女性用シャワールームの地図だって」
「あ、ありがとう。でも、大丈夫。そんなにだし、ボディーシートで間に合わせるから！」
　春めいた山道を目移りしながら進めば、どうしたって汗はかく。あのときは意識せず発した言葉だけど、もし匠が今日、そういうつもりで誘っていたら？
（汗臭くは……ないと思うけど、でも、雰囲気壊した？　あれ、今ってシャワー行くべきだった？）
　追い出したと思っていた甘い想像の片鱗が、再び桜の脳内を駆け巡る。押し黙った顔の赤い桜を見て、匠は熱射病やもと駆け寄るのだけど――桜は近づいた分だけ、後ろへ逃げた。
　チラリと寄越された視線は心なしか潤んでいて、熱の引かない頬は抱きしめたくて。つい腕を伸ばそうとしたとき、匠は自分たちの現在地を改めて自覚する。

　ここは、九夜山中腹にあるクリアドーム。
　他のドームと離れているとは言え、外から様子を窺える透明な個室の建物――つまり、２人きりだ。

「……あっ！　ち、違っ、えっと」
　ようやく匠も状況を理解して、彼女が安心する材料をと周囲を見渡す。
　２人は水泳部なので、スポーツセンターであられもない格好――もとい、水着姿で接している時間も長い。けれどそれは、衆人環視下であるというのが大前提だ。
　水着だって競泳用の物だし、下心あっても接触じゃない。けれど今はどうだ。
「今日は、本当に……」
　受験生として忙しくなる前にゆっくりしたくて。いつも誘ってもらってばかりで気を遣わせているからこそ、喜ぶところに連れ出したいと思っていて。
　なのに、この部屋には小さめのベッドはひとつしかないし、着替えの出来そうなスペースにも心許ないカーテンがあるだけ。
　それを確認すると匠は顔を赤らめるから、桜は思わず笑った。
「……いいよ」
「えっ!?」
「え……あっ！　同じ部屋でもね、ほら……星が！　一緒に見えるかなって!!」
　部屋どころか、隣同士で眠ることになるのだけれど。改めて口にしなくてもわかるだろうと、桜は照れくさそうに微笑んで誤魔化す。
　そういうことかと安堵した匠は、それも失礼かと真顔で思い直し、でも「今は、本当に」なんて口を滑らせ、桜も「今『は』なんだ」と冷やかしてドームには笑い声が反響していた。

　今夜はきっと緊張して、視線は星空を見ていても考えているのは隣の熱と気配ばかりになるだろう。
　でも、あとからこの夜を思い出したとき、「星が笑ってたね」って、２人とも思う気がする。

　……だって今夜の夢は、星が撮ってくれた素敵な記念写真が舞台になるのだから。

このページにイラストを設定する

きみと春のはじまりを

シナリオ

シナリオデータ

シナリオスケジュール

参加キャラクター一覧