ムーンライツ・ムーンドライブ｜リアクション

ムーンライツ・ムーンドライブ

「どこにも存在せず、どこにでも存在する。ホテル・ミスティックへようこそ」
　出迎えたコンシェルジュの女性は浅黒い肌に銀色の長い髪、四本の腕、金色の三つの瞳を持っていた。清恋は思わず身構えたものの、燕尾服姿は様になっているし慇懃で優美な立ち居振る舞いや穏やかな物腰から察するに、人を取って食うような化け物とは思えない。
「ああ、これはご丁寧に。ありがとう。じゃあ、食事でもしていこうか。俺も君も、ドレスコードはバッチリなことだし」
　錠に言われてようやく気が付いた。二人は正装していた。彼はぴんと糊のきいたスーツ姿、清恋はレースの入った濃紺のフォーマルなワンピースドレスだ。いつの間に？
　考えても詮無きことかもしれない。清恋は首を縦に振った。
「なるほど、これも縁というわけ。それじゃ、お邪魔しましょうか」
「そうしよう。何だか面白いものが見られそうだしな」
　こういう時、彼のフットワークの軽さや柔軟性、好奇心旺盛な気質は清恋にとってありがたい。仕事に邁進するあまり思わず額に眉を寄せることも多く、不穏不快な事件に重くわだかまりがちな心をほぐし、明るい光の下へ連れ出してくれるのだ。
　身体だけの付き合い、いわゆるセフレである彼だがもう少しだけ、深く心を繋いでみてもいいのかもしれない。時折そんな風にも思ったりする。
「こちらがレストランになります。ごゆっくりどうぞ」
「ええ、ありがとう」
　先ほどコンシェルジュが妙なことを言っていた、どこにも存在せずどこにも存在するのだと。その証のひとつが一面のガラス壁の向こうに映る光景なのだろう。景色は奇怪のひと言だった。緑の火を噴く火山が遠方に鎮座し、赤い雲が渦を巻く。濃い霧がかかったかと思うと窓の外は一変し、恐竜めいた巨大な生き物が泳ぐ海中となった。また霧がけぶったかと思えば空の上、大空をプロペラで優雅に航行する空中都市の威容が現れた。
「映像……なの？」
「そうは見えないが……風の音や振動、温度までも感じるし」
　見回せばレストランで食事を取る客層も不可思議だ。あちらの席では歩く植物といった様相の緑の生き物が淡く輝きながら泡立つ酒を飲み、向こうの広い空間ではドラゴンが寝そべり、良く焼けた骨付きのリブステーキにかぶりついている。隣の席では透明な頭蓋に脳を浮かべた宇宙人たちがパスタを食べていた。
　清恋は頭を振った。
「何だか……目が回りそう」
「そうだな、だが楽しいよ。君も素直に楽しむといい」
　柔軟な彼はさっそく四本足のホールスタッフを呼びつけ、注文を飛ばしている。「何食べる？」と聞かれたが全くメニューの想像が及ばないのでお任せすることにした。
「楽しむ、ね。そうね。郷に入っては郷に従え、だったわね」
「そう、それが人生の秘訣ってものさ」
　やがて届いた料理の素材は何一つ分からなかったが、肉も野菜もデザートも得も言われぬ美味でり、何だかんだと清恋は満足した。

「いいもの見られましたかね？　そうですか？　それは良かった。ご乗車ありがとうございました、またぜひどうぞ」

　車は小高い丘のパーキングエリアに駐車していた。朝方に修が借りたレンタカーだ。
「夢、だったのかな？」
　小首を傾げるあおいに、修は微笑んだ。
「確かに悪酔いはしなかったな。貴重な経験だったよ」
「神様、大きいけど楽しい人だったね」
　笑いながら車を出すと、涼しい夜風が窓から吹き込んだ。月は頂点。ドライブデートはこれからだ。

　シャワーを浴びて戻ると、錠は窓際に出て煙を吹かしていた。
「吸い方、覚えたの？」
「見様見真似でね」
　言うなり咳き込んだ彼に苦笑いし背中をさすってやりながら、月を見上げる。
「良い夜ね」
「ああ。奇妙で良い夜だ。美味かったし」
「あれ、何の肉だったのかしら……」
　知らぬが仏というものかもしれない。少し震えた清恋の肩を錠が抱き寄せた。

　ともかく眼前には、飴玉みたいな冗談めいて黄色い月がぷかりと浮かび、何事も無かったかのように街を静かに見下ろしていた。

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あとがき

担当マスター：網透介
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網です。
夜のドライブでした。

夜は街がいつもと違った顔を見せてくれます。
その違いが時に新鮮であり、時に恐ろしくもあり、私を夜歩きへと駆り立てるのです。
不思議な夜のドライブ、また機会があれば書かせていただきたいと思っています。第二回がありましたらぜひどうぞ。

それでは、また次回に。
網でした。

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