ムーンライツ・ムーンドライブ｜リアクション

ムーンライツ・ムーンドライブ

「どうぞ。綾花さん」
「ありがとうございます、珪さん」
　早川珪が自らドアを開き、綾辻綾花を車内へと招き入れる。この瞬間が好きだ。胸が高鳴る。何だか姫君にでもなった気分ではないか。

　イエローのコンパクトカーへ乗り込むとエンジンは軽やかに鳴り、滑るように発進する。スピードは緩やか、法定速度を守ってとろとろとシーサイドタウンを行く。急ぐことはない。珪のいわく「まだ時間まで余裕があるから」とのことだ。
「ゆっくり行こう。夜のドライブもいいものだよ」
　綾花は微笑む。行き先は秘密、らしい。綾花もあえて問い質すようなことはしないし、のんびり運転に心地良く身を任せるのみだ。珪への信頼があるからこそ、秘密は楽しみとなった。
　車は寝子島本線に沿って進んだ。夜は不思議だ。見慣れた道、見慣れた店や民家の並びも、連なる線路も、何もかもが違った顔を綾花へ見せた。眩く輝く月明かりがためだろうか。真円に近い月は綾花を見下ろしながらオープンカフェのテラス席をこの車みたいなイエローに染め上げ、鈍色の線路の照り返しに複雑な色合いをもたらした。
　窓の向こうには夜空の深い青と月、人々の暮らしが灯す黄や橙が交互に、時速30kmで流れゆくたびに綾花の心とシンクロし、リズムを刻む。明滅する光はやがてひとつの曲調を成して綾花の肩をかすかに揺らした。
　心と共に会話も弾む。
「今日は学校の近くのレストランでお昼を食べたんです」
「何を食べたんだい？」
「イタリアンです。生パスタのお店なんですけど、種類を選べるんですよ。フィットチーネとかスパゲティとか、タリアテッレとか、ペンネとか。今日はタリアテッレのボロネーゼを食べたんですけど、とっても美味しかったですよ。だから、いつか珪さんにも食べてもらいたいなって」
「いいね、そそられるよ。今度連れて行ってくれたら嬉しいな」
「はいっ、ぜひ！　珪さんはお昼、何食べましたか？」
「今日はあまり時間が無くてね。コンビニでおにぎりを買ってみたんだけど、驚いたよ。あんなに種類があるなんて」
「最近のコンビニはすごいですよね」
「うん、味もなかなかだし、食べ応えもあってね。たまにはああいうのもいいもんだ」
「たまに、にしておいてくださいね？　栄養が偏っちゃいますから」
「そうだね、気を付けるよ……おっと、ここを左折だ」
　夢中でしゃべっていたら、いつの間にか目的地へ近づいていたらしい。ナビの誘導に従って寝子島本線を降り、旧市街は九夜山の山裾へと車を走らせる。
「今日は綾花さんに見せたいものがあってね」
　参道商店街を抜けたところに車を止め、寝子島神社のほうへ階段を登る。
「気をつけて、綾花さん」
「て、手を繋いでくれますか？　ちょっと怖いので」
　夜道だが照明が設置されており、真っ暗闇というわけではなく足元は確かながら、数メートルも先は漆黒だ。それでも先導してくれる珪の存在がすこぶる頼もしい。綾花はぎゅっと彼の手を握り込んだ。
「こっちこっち。こっちだよ」
　先を歩く彼のたどる道筋に、綾花にも彼がどこへ自分をつれていこうとしているのか分かった。
「耳福池ですか？」
「そう、ちょっとしたイベントをやっているらしくてね」
「イベントですか？　何の……って、何だか明るい？」
　珪に手を引かれるまま寝子島神社の脇を通り、歩いていくと突然眼前が七色の光で満ち満ちた。
「……！　す、すごいです……！」
「ああ、聞いていたよりずっと綺麗だ。やっぱり、綾花さんを連れてきて良かったよ」
　そう言い、珪は綾花の肩を抱いた。
　寝子島町役場の主導で、桜の季節の間、耳福池のライトアップを行っているらしい。池に投影された光は青、赤、緑に黄、橙、紫と次々に色合いを変え、荘厳にして幻想的だ。周囲の樹々や桜も水面から反射する光に浮かび上がり、中心には直上へ至った月がぽっかりと映りこむ。まるで神秘の森といった様相だ。
「七色にきらめいて、とっても素敵です……あっ」
　ふと気づく。周囲には同じようにライトアップを楽しむ人々の姿があったが、そのほとんどがカップルではないか。ぴたりと寄り添い、中には人目はばからず熱く唇を重ねる者たちもあり、綾花は思わず赤面した。
　もちろん二人もまたそこへと溶け込む。彼の腰へ手を回し、強く抱き込んだ。
「珪さん。今日は連れてきてくれてありがとうございます。珪さんと一緒に見られて嬉しいです」
「僕もだよ」
　移り変わる光は樹々や揺れる水面のみならず、恋人たちの横顔までも美しく照らし出す。その後は言葉もいらず、日が変わるまで抱き合った。

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