屋台島紀行｜リアクション

屋台島紀行

【すきなあなたと】

「ここはどこでしょうか？」
「これは……」
　まさに不意に。煙湧き立つように視界を覆った霧が、綾辻綾花と早川珪の姿を外界から包み隠したのはあっと言う間の出来事だった。
　それは、これから二人で、今が見頃の六月の紫陽花を観に行こうとしていたある日のこと。
　霧を前に、互いが離ればなれになる可能性を不安に思った綾花が、咄嗟に珪の手を掴む。
　そして、そろりそろりと歩くことしばし――霧が晴れた先で見えた世界は、まるで人を集めてイメージに統計を取ったかのような、純然な南国アジアンファンタジーを思わせる空間だった。
「ひとまずは……大丈夫そうかな」
「はい。歩いていて、危険な場所じゃない事は分かりました」
　珪の言葉と併せて、綾花も並んでほっと小さく息をつく。
「珪さん、不思議な場所ですね……屋台、でしょうか」
「奥に寺院らしき者が見えるが、お祭り、かな……？」
　安全を確保すれば、一気に様々なものが見えてくるというもの。
　広がる世界は、一本の道を中央に左右に広がる屋台の数々。ただ、どこかエスニック風とも思える雰囲気は、日本のお祭りとは一線を画すものがある。屋台に売っている物も、一見では香ばしい魚の塩焼き――に、見えるがちょっと魚に小さな猫耳っぽい形が頭部に付いていたりと、何かおかしい。
「そこの恋人さんっ、この『ウオっとキャットの醤油だれ焼き』美味しく焼けてるよ！」
「ウオっとキャット」
　思わず書いてある文字を元に復唱しながら、綾花はまじまじと考える。
　かなりのトンチキ加減ではある。だが、灼かれている香ばしい香りは確かに少し空いた小腹に、少々堪え難く訴えかけてくるものがあるのだ。
「食べても大丈夫なんですよね？」
「――食べてみようか？　一応、僕が毒味をするから」
「あいよっ、まいどあり！」

　どう考えても少し何かずれた世界ではあるが、所持金が使えて金額も焼き魚と同じほど。二人は胸を撫で下ろしながら、ちょっとの勇気と誘惑を元に、ほぼ同時に魚にぱくりとかじり付いた。
　魚に付いている猫耳っぽい物は気になるが、それ以上に――美味しい。
　綾花が、そのギャップに目を見開いてまじまじと魚を見つめる中、珪は余程美味であったのか、小さく頷きながら無言で黙々と食べている。
　綾花はしばらくその様子を見つめてから満足げに微笑んだ。
「珪さん、美味しいですか？」
「はっ......！　ご、ごめん。つい美味しくて……！」
「私もです。でもきっと、」
『誰と食べるかも大事ですね』――綾花がそう言葉を寄せれば、珪は一際恥ずかしそうに、僅かに俯いて見せた。
　食事は、好きな人と一緒であれば更に美味しくなるものだから――

　この手の現象には馴染みのある綾花は、特に帰る事を焦ることなく、食事の後に奥の寺院に行く提案を珪に示して、離れてしまわないようしっかりと手を繋ぎ歩き始めた。
　歩き始めてしばし――
「あっ！」
　そこで視界に映った等身程もあろうかという大きさをした、猫の石像に綾花は目を輝かせた。
「にゃんこを信仰してるんでしょうか？　大きいけど可愛らしいですね」
　その言葉に珪も頷く。もしかしたら違う物に見えているかもというのは懸念だったようだ。
　他にも人の触れた痕跡が伝わる石像に、綾花も触れればそれは若干温かく心までぽかぽかするものだった。
「何かご利益がありそうですね。もっとにゃんこと仲良くなれるとか？」
　幸せな感覚に思わず浮かぶ笑みを添えながら、綾花が石像猫の背中側に回ると、そこには可愛らしいハートの模様が浮かび上がっているのが目に入る。
「珪さん、ハートの模様があります――きっと恋愛のご利益もありそうですね」
　綾花がそっと、珪を手招きして背中側へと呼び寄せる。
「え、恋愛の――……っ」
　そこで近くに来た珪を、綾花はぎゅっと優しく幸せいっぱいに抱き締めた。
　このような幸せが、ずっと続けばいいなと。そう願いながら――

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