いたいのいたいの、とんでいけ｜リアクション

いたいのいたいの、とんでいけ

　教室の窓から　

　真っ白な粉が、空に散る。
　季節外れの雪だろうか？　もちろん、そうではない。
　余裕を持って教室に着いた八神修が、窓から黒板消しをはたいていたのだ。
　パン、パン、パン。小気味よく一定のリズムで黒板消しを鳴らしながら、修は呟いた。
「今日も、良い天気になりそうだな」
　空には、眩しい朝日。素敵な一日の始まりを予感させる。
　けれども彼のそんな予感とは裏腹に、この日、数人の生徒にとってはとんでもない一日となるのだった。

「ん？」
　窓から外を見下ろす修は、クラスメイトが走っているのを見かけ一瞬手を止めた。首を傾げる。
　まだ一限目が始まるまでは幾ばくかの時間があるし、走る必要がなぜあるのか分からなかった。
　そしてそれ以上に、クラスメイト——佐藤英二が走っているのが意外だった。
　少なくとも彼の知る限り、英二は周りの視線を集めたり、目立った行動を取る人物には思えなかった。
　事実、英二はそういった状況を好まない。
　では、どうして英二は朝から全力疾走などという、目立った行動を取っていたのか？
「ヤバい。腹痛ヤバい」
　ぽつりと声を漏らす英二。なるほどそういうことのようだ。漏れたのが声だけで良かった。
　英二は、汗を流しながら必死に校内のトイレを目指していた。
　と、そこに声が降ってくる。
「おはよう」
「？」
　見上げれば、そこには窓から顔を出した修が。
「あ、お、おはよう」
「？」
　今度は修がハテナを浮かべた。なにか、とても焦っているように見える。何よりその汗の量が、気になって仕方ない。
「どうした？　走ってくるなんて珍しいな」
「えっと、あの、ト、トイ……」
「トイ？　トイプードルでも迷い込んだのか？」
「いや違くって、その」
　話している間、英二はしきりにその場で足を動かしている。スタートを待ちきれないランナーのように。
　その様子を見て、理由は分からないが何やら急いでいるのだな、と察した修は、会話をそこで止めた。
「悪かったな、急いでいるところを引き留めて」
「いやっ、じゃあ僕はこれで！　また教室で！」
　言うが早いか、英二はダッシュで校内に入っていった。
「……なんだったんだろうな」
　首を傾げつつ、また黒板消しをはたき始める修。
　すると今度は、鷹取洋二が英二の後を追うように走っているのが見えた。
「あれ、鷹取先輩じゃないか」
　今日はやたらと走って登校する人が多いな、なんて思いつつ修は洋二に声をかけた。
「先輩、おはようございます」
「ん？　あ、ああ君か。おはよう」
　セリフこそいつもと同じだが、明らかにその表情は険しい。プラス、早口だ。
「どうしたんですか？　何か急いでいるようですが」
「いや、ちょっとね。僕のダイヤモンドたちが体の中で雄大なメロディーを奏でていてね」
「……はあ」
　何を言っているかさっぱり分からないけど、とりあえず急いでいるんだなということは分かった。
「それより、すまない。少しばかり急いでいるので失礼するよ」
「ああ、いえ。こちらこそ呼び止めてしまって失礼しました」
　互いに手を振りあい、洋二もまた校内に駆け込んでいった。
　言うまでもなく、彼も英二同様お腹がピンチ状態なのである。
「俺が知らないだけで、また何か異変でも起きているのか？」
　修が深刻そうな顔を浮かべるが、異変は彼らの胃腸にしか起きていない。
　不思議に思いながら、週は黒板消しを最後にひとつ、ポンと叩いて窓を閉めた。
　窓の向こうで、真っ白な粉が舞う。
　英二と洋二にとって、それは細粒状の胃腸薬にも見えた——かどうかは分からないけれど。

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