◆八神　修


　気付けば修は『手作り甘味処』と書かれた赤のれんの前に立っていた。

　ここに至るまでの道中はまるで記憶になし。
「ああ、これは夢だな」
　修は察しが良かった。
　だってこんな店、見たことない。そもそもここはどこだ？

　寝子島に住んでいるとそうなるというか、不思議なことが起きてもすぐ順応できるようになるというか。とにかくいろいろと鍛えられている。
　普通なら訝しんだり、こんなのおかしいと警戒するものだが、修はもうこういった『ちょっとぐらい変なこと』には慣れっこになっていた。
　生来の楽天的な性分もあり、むしろ何が起きるか内心わくわくしながらのれんをくぐって店内に入る。
　かららん、とドアベルが鳴る音を聞いた店員たちが一斉に入り口の修を見て、気持ちのいい笑顔で声をそろえた。

「いらっしゃいませ、お客さま！」

　修は会釈で返し、店内をざっと見た。
　８割方の席が埋まって、ほどよく混んでいる。甘い香りがほのかに漂っていて、おいしそうだ。
　さて、どの席に座ろうか、と考えたときだ。
　後ろから声がかかった。
「お客さま、何名でご来店ですか？」
　聞き覚えのある、少し笑いを含んだ声。
「あおい？」
　声で見当をつけて振り返るとそこにいたのはやはり七夜 あおいで、和服に和エプロンを付けた姿でそこに立ち、くすくす笑っていた。

「１名さまですね。すぐお席へご案内します」
　あおいはくすくす笑いを止めて、すまし顔でそう言う。だが、修を見る目はまだ笑いを含んできらめいている。
　修も、思わず漏れそうになった笑いを押し殺して、案内されるまま、壁際の２人掛けの席へ座った。
「こちらが当店のメニューとなっております」
　開いて渡されたメニューを受け取った修は、中を見ながら言う。
「きみのおすすめのメニューは何かな？」
「おすすめですか。そうですね……抹茶アイスのあんみつなどいかがでしょう？」あおいがメニューをめくって指でさす。「濃厚な抹茶アイスとバニラアイスが乗ったフルーツあんみつで、ソースも抹茶となっています」

「じゃあそれを２つ」
「２つ？」
　ここにいるのは修だけだ。あとからだれか来るのだろうか、と視線を入り口に向けかけたあおいに、修がすかさず
「あおいの分だよ」
　と言った。
「私？」
「そう。もし休憩に入れるなら、だけど」
　修に下から見つめられて、あおいはちょっと考えるようなそぶりを見せたあと。
「では、２つですね」
　と手元のメモに書き込んだ。
　それを了承と受け取った修は、笑顔を深めて「それからもう１つ」とメニューをさす。

「あと、このもちごってやつ」
　それはチョコ味のいちご大福のように見えた。チョコレート色の、見るからにふわふわとした柔らかそうな生地の表面に、ココア粉が雪のようにかかっている。
「あおいは？　何がいい？」
「私は……そうね。これかな」
　あおいが示したのは『トリュフまるまん』と書かれたまんじゅうだった。
「じゃあそれも」
「わかりました。では、抹茶アイスのあんみつと、もちごと、トリュフまるまんですね」
　あおいは復唱し、メモを手に厨房へ戻って行く。
　次に現れたときは私服だった。

「おまたせ」
　といつもの口調で前の席につくあおいを見て、注文の品を届けたのが別の店員だったことを不思議に思っていた修だったが、そういうことかと腑に落ちる。
　そして、食べていたもちごについていた竹串を皿に戻し、彼女を見つめて言った。
「さっきのあおいもかわいかったけど、今のあおいもいいな」
「そう？　……ありがとう」
　正面から褒められることにまだ慣れていないような、ほんのり赤く染まったほおを隠すように照れ笑って、あおいは自分の『トリュフまるまん』の皿に手を伸ばした。
「それ、なんだか不思議なにおいがするけど、何？」
「これ？　あんがちょっと特殊なの。日本酒の香料が入っててね」
　説明しながら竹串で２つに割ると、中はチョコガナッシュで、さらに香りが強まった。

「食べてみる？」
　と半分を串に刺して差し出されたそれを口に含んだ瞬間、ガナッシュが溶けて濃厚な日本酒の味が広がる。
「これはおいしいな」
「でしょ？」
　うれしそうに答えて、自分の分をさらに細かく切って口に含む。
「あ。あおいもこっち食べるか？」
　修は、さっきまで食べていたもちごを切り分けた。
　だがあおいは首を振る。
「ううん。それは試食でいっぱい食べたからいいの。修くんが食べて」
「え？　じゃあこれ、あおいが作ったのか？」
「うん。
　それで、食べてみてどう？」
　軽く言っているようでその実ちらちらと盗み見る視線から、すごく気にしているのを察した修は、あらためて手元のもちごを見た。
　メニューで写真を見たときは気付かなかったが、ちょっとしたコンビニのシュークリームほどのサイズがあり、中身はあんに包まれた丸ごと苺と、なかなかボリューミーだ。
　しかし甘酸っぱい苺とそれを薄く包んだこしあんの相性は抜群で、しかもそれにふわふわのチョコ餅の軽い食感が加わって、この倍の量でもおいしく完食できそうだった。
「……このふわふわした食感、ほんとすごいな」
「それ、難しいんだよ。いっぱい失敗して、ようやく出せるようになったの」
「そうか。頑張ったんだな」
「うん」


　修に褒められて、うれしそうに笑うあおいが印象的で。
　目が覚めたあとも、修はしばらくその幸せな余韻に浸っていた。
　身を起こし、枕元のスマホに手を伸ばす。ニャインを起動して、あおいにメッセージを送った。
　夢での出来事をつづり、そして最後にいちご大福のスタンプとともに「一緒に作りたいな」と送る。
　すると、すぐに返信が来た。
　「いいよ！」というスタンプだった。
　腕まくりしているエプロンを付けた女の子キャラが、夢の中のあおいを思いださせて。修は思わずくすりと笑った。