にょろっと巳（み）ラクル！新春☆初夢フェア２０２５　茄子編｜リアクション

にょろっと巳（み）ラクル！新春☆初夢フェア２０２５　茄子編

　新緑を歩く

　世界は光に満ちていて、瑞々しく潤っていた。
　心地よい風が吹き抜けてゆく。
　新緑の木立の中を、御巫時子は五十嵐尚輝と並んで歩いていた。
　高校時代は白衣姿ばかり見てきたが、今日の尚輝はさっぱりとした白のインナーにアッシュグレイのジャケットという姿で、それもまた新鮮だ。
　通りで買ったアイスティーを飲むのも忘れて、時子は尚輝の横顔を見つめてばかりいた。

「尚輝さん。手を、繋いでもかまいませんか……？」

　時子がおずおずと手を伸ばすと、尚輝もゆるりと握り返してくれる。
　どうして人は、好きな人と手をつなぐとこんなにも心が弾むのだろう。
「ふふ……こうして一緒に歩けて、嬉しいです」
　時子が素直な気持ちを口にすると、尚輝は照れたように頬を掻いた。
「実を言うと、僕もです。時子さん」
　化学の世界に魅せられて、実験室に籠っているのが幸せで、コーヒーだってビーカーで飲んでしまうような朴訥とした男であった尚輝は、人の心の機微に鈍いところがあった。時子に対してもけっこう長い間、どうしてこの子はいつもお弁当を持ってきてくれるのか、という件について、ぼんやりと親切な生徒だな、くらいにしか思っていなかったと思う。
　あるときから、明らかな好意を向けられて、それでも『好き』とはどういうことか、と、やっぱりぼんやり思っていた気がする。
　それがこうして、手をつないで歩く間柄になったのだから――人生とは何が起こるかわからないものだ。
「それで……どこへ行きましょうか？」
　時子がゆったりした口調で尋ねる。
　尚輝は、ううん、と困ったように空を見上げた。
「僕はその……気の利いたデートプランを考えたりするタイプではなくてですね……」
「ふふ。ええ。分かっています。どこでも、尚輝さんが行きたいところをおっしゃってください。それとも……私が何か考えましょうか？」
「いえ、それでは僕があまりに甲斐性なしではありませんか。すこし考えてもいいですか？　そうですね……」
　尚輝は歩きながら、まるでむつかしい化学式を解くときみたいな気難しい顔になる。
　時子は、尚輝のこんなところも好きだった。
　隣に寄り添って歩きながら、黙って彼の考えがまとまるのを待っていると、あたりの景色や物音が、いつもより鮮やかに感じられた。さわさわとした葉擦れの音。梢を行き交う小鳥たちの啼き声。香ってきているのは、白く可憐な茉莉花の花だろうか。
　かぐわしい香りに心奪われかけたそのとき、ふいに、尚輝が口を開いた。
「……どこにも行かない、というのは、どうでしょう」
「どこにも行かない、ですか？」
「はい。だって、僕は今、この瞬間が素晴らしいと思っているんです。心地のいい風が吹いて、隣には時子さんがいて……だからこうして手をつないだまま、飽きるまで歩いてみる、というのはどうでしょう。もしかしたらどこかにたどり着くかもしれませんが、それはそのときのお楽しみ、ということで」
「それって……」
　時子は、握る手にすこしだけ力を込めた。
「人生に、すこし似ていますね……」
「ああ。言われてみれば、そうかもしれません」
「飽きるまで歩くとおっしゃいましたが、私はきっと……飽きませんよ」
　時子はそっと、尚輝の肩に頭を寄せた。
「尚輝さんと、人生という道を歩めたら、どんなに素敵だろうと思っています……」
　こんなこと、言ってしまってよかっただろうか。
　どくん、と心臓が脈打ち、手に持ったカップの中で溶けかけた氷がカラリと回った。
　まるで時が止まったかと思った次の瞬間、つないだ尚輝の手が力強く握り返してきた。
（……ああ。本当に、尚輝さんが好きです……）
　木立の先は霞んで見えない。
　明るい木漏れ日の道は、どこまでもどこまでも続いている。