ストロベリームーンの香りに誘われて｜リアクション

ストロベリームーンの香りに誘われて

　星ヶ丘の住宅地に隠れ家のようにそのレストランはあった。
　こぢんまりとした店の周囲には季節の花が咲き乱れ、そうと知らなければ瀟洒なお屋敷だと信じてしまうだろう。
　予約した早川です、と迎えに現れた店員に告げる珪の背中を綾花は心強い思いで見つめる。ひとりならきっととても緊張してしまうだろうけれど、今日は珪がついている。
　上質な絨毯が敷かれた廊下の先、黒檀の扉を潜る。たとえば遠い国のお姫さまの部屋のような客室には、品の良い調度品に囲まれたテーブルと椅子が一組分だけ。
　どうぞ、と店員が引いてくれた椅子にちょこんと腰掛け、綾花は背筋を正した。慣れた様子で花の名を冠したコース料理を注文する向かいの席の珪を見遣る。
　大人っぽい洒落たレストランでの食事は慣れずに身が固くなるものの、どうやらここは個室に料理が運ばれてくるらしい。
(思ってたほど緊張はしなさそう……)
　それに、と周囲を見回す。磨き込まれた柱時計や豪奢な花の飾られた白磁の花瓶や、大きな窓の外に見える花の庭、――どこか懐かしさを感じてしまうのはなぜだろう。
　物珍しさに思わずきょろきょろしてしまいそうな視線をぐっと我慢して、真っ白なテーブルクロスの並べられた銀色のカトラリーに目を落とす。
「緊張する？」
「……少し」
「実は僕もだ」
　珪はくすりと笑う。
「がんばって大人の振りをしてるんだ」
　声を潜めて秘密を白状する珪と思わず笑みを零す綾花の前のグラスに注がれるのは、薄紅色した液体。
　それじゃあ、とグラスを掲げる珪に、大学生になったとは言えまだ未成年の綾花は瞬く。グラスの中でぱちぱちと小さく弾けるこの飲み物は何だろう。
「ストロベリースパークリング、もちろんノンアルコールだよ」
　お酒は成人してからね、と珪は極めて生真面目な顔で頷いた。
「二十歳になったらワインで乾杯したいです」
「そうだね」
「……その時も、傍には珪さんがいて欲しいです」
　キスをするようにグラスを合わせ、ぱちぱち跳ねる苺ジュースに口をつける。
　ノンアルコールのはずが綾花も珪も、ほんのり薄紅の頬。

　カモメ印の苺サイダー、マリの漁師町風クラムチャウダー、羊飼いノットの薄切りトースト、銀龍風ムニエルのタルタルソース掛け――
「あっ」
　ディナー帰りの車内で綾花は声をあげる。
「どうかした？」
　慣れた所作でハンドルを操作しながら少し驚いた様子を見せる珪にごめんなさいと謝ってから、綾花は目をキラキラさせた。
「珪さんに誕生日憶えててもらったことも嬉しいのに、お祝いまでしてもらえて感動しちゃって最後まで気づけなかったんですが、レストランの料理……！」
「気づいた？」
　綾花の言葉に珪は嬉しそうに笑う。
「全部、本に出て来る料理です！」
「あたり」
「それに個室のあの装飾も」
「そう――」
　ふたりは声を揃える。
「雪降る城の宝石姫」
　一緒に口にした本の題名がぴったり揃って、綾花と珪は声を上げて笑いあった。
　個室の装飾に感じた懐かしさの正体に納得するうち、
「……さ、着いたよ」
　車が次に停まったのは、こちらも星ヶ丘の住宅街にある隠れ家のような小さなケーキ屋。
　白い壁に赤い屋根、蔓薔薇の絡まる門。物語に出て来そうな可愛らしい店の前に立って樹の扉をそっと開けば、ふわり、甘い香りがあふれ出す。
　木苺のガトーショコラ、ドーム仕立てのレアチーズ、苺ソースのプディング――ショーケースに並ぶ繊細な作りのケーキの中からふたりが選んだのは、ミニサイズホールのショートケーキ。
　たっぷりの生クリームと真っ赤な苺で飾られたふたりで食べきれる小さいサイズのホールケーキの入った箱を宝物のように胸に抱え、綾花は小さなこどものように笑う。
　店から出ると、外はもう藍色の空に一番星。
　きらきら輝く星を仰いで、綾花は高校生の頃を思う。
(あの頃は)
　夕闇が迫るとすぐお別れの時間だった。
　星空が輝くまで、月が高く昇るまで、『珪先生』とずっと一緒になんて居られなかったから、
(……嬉しい)
　さて、と珪が芝居がかった仕種で助手席のドアを開けてくれる。途端、後部座席に大切に置いた薔薇の花束が香った。
　車内に満ちる薔薇の香を胸いっぱいに満たし、綾花はケーキの箱を抱いて席に腰を下ろす。
「月を見に行こう」
「はい。珪さん」
　珪の運転で滑るように走り出す車の窓から宵闇の街を眺めやる。
　見慣れた街がこんなにきらきらと輝いて見えるのは、
(それはもちろん)
　隣に珪が居てくれるからだ。

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ストロベリームーンの香りに誘われて

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