さようなら、またいつか。｜リアクション

さようなら、またいつか。

　3月も下旬ともなれば、うららかな小春日和が増えてくる。今日がそんな日であったことに、落合まゆらは心の中で感謝した。
　だって――旅立ちの日は、やっぱり晴れてた方が良いじゃない？

「……しばらくの間、寝子島ともお別れだね」

　窓の外に広がるいつもと変わらぬ光景を、感慨深く眺めながら呟いたまゆらは、室内へと眼差しを戻した。そこに在るのはガランとした空間――つい先日まで家具やら小物やらが鎮座していた部屋は、いまやすっかり綺麗に片付いて、隅々まで綺麗に拭き上げたから、もはや面影もない。
　今日、まゆらはこのアパートを引っ越す。準大手の声優事務所「キャットボックス」の所属声優として──否、声優未満の駆け出しとしてのスタートを切ることが決まったのだ。
　2年も住んだこの古アパートに、愛着がないかと言えばそれはきっと、嘘になる。寝子高を卒業して桜花寮を出てからこっち、まゆらにとっての家は確かに、この古びた一室だったのだから。

（まあ……古過ぎて、時々妙な音が鳴るのはちょっと困ったけど、ね）

　それが神魂が影響していたのか、他のフシギ現象だったのか、はたまた単なる家鳴りだったのかは怪しい所だ。何しろ、契約前から築50年だとかいう触れ込みだったこのアパートは、引っ越しの最中に発見したとある品によって、それよりなお古い可能性すら出て来たのだから。

（まさか、昭和33年の新聞が出て来るとはねー……）

　引っ越しのためにあちらこちらを開け回り、荷物を引っ張り出して掃除をしている最中、押入れの奥から出て来た古新聞に踊る『東京タワー開業』の文字を見た時には、思わず乾いた笑いが出たものだ。否、もちろん前の住人が古新聞マニアで集めていたとか、やたら物持ちが良くて古新聞も捨てないタイプだったりとかで、たまたま偶然昭和33年の新聞が出て来た――という可能性もゼロではないが。
　築60年オーバーか、と言われればすとんと納得出来てしまうオンボロアパートには違いないから、やっぱりあれらは家鳴りだったのかもしれない。否、やっぱり神魂のせいだったのかもしれない。否――

「――あ」

　ぐるぐると出ない答えを再び考えているうちに、ふと思い出してまゆらは再び視線を外へと向けた。今はすっかり小春日和のこの島に、大雪が降ったあの日のことを思い出したのだ。
　あの時も家鳴りが酷く、さすがに雪で潰れるのではないかと本気で怯えて逃げ出したものの、外は外で大雪が酷く、本気で遭難するのではないかと危ぶんだものだ。ゆえに、必死に飛び込んだ先のゲームショップで出会ったのが三佐倉千絵――彼女も確か、ゲーム作家を目指してドイツへ移住すると言っていたのではなかったか。

（千絵ちゃん、もう出発したのかな）

　飛行機を探すように青空を見上げながら、思う。まゆらの引っ越し先は東京都内だから、すれ違う可能性はかなり低いが、同じく将来の夢を掴むために島を出た仲間と思えば、親近感が強かった。
　どこかで会えれば良いな、と思う。といってもまゆらの新居は、渋谷区や港区といったいかにもキラキラとした有名どころではなく、江東区内で見つけた家賃3万円の女性限定アパートだから、一時帰国で立ち寄るという事もないだろうか。
　ふぅ、と小さく息を吐き、がらんとした部屋を見回した。前にまゆらがこの光景を見たのは、引っ越してきた時だけだ――あの時は同居人のいない完全な1人暮らしになってドキドキしたものだが、慣れたら1人暮らしも悪くないなと思ったのだっけ。

「そろそろ行きますか？」
「あ、はい！」

　ふいに引っ越し業者に声をかけられて、まゆらは元気に返事をして動き出した。すでに梱包した荷物はトラックの荷台の上だ、あとはまゆらが部屋を出て、大家さんに鍵を返せばそれで終わり。
　引っ越し荷物の梱包も手伝ってもらう事にしたものの、荷物の殆どがフィギュアでどう思われるかはらはらした事を思い出す。幸いプロとして淡々と仕事して貰えたので、最初は気にしていたまゆらも無心で作業する事が出来た。
　部屋を出て施錠し、大家さんに別れの挨拶をして鍵を返す。トラックの助手席に乗せてもらって、最後に忘れ物がないか確認されたのに首を振れば、トラックは新居に向けて走り出した。
　ブロロロロロ……
　あっという間に見慣れた街並みが小さくなり、寝子島大橋が見えてくる。さほど長くはないそれを渡り切れば、寝子島とは本当にお別れだ――もう、本当にろっこんや神魂に関わる事は、ない。
　その、最後のひとときは存外早く過ぎて行き。――まゆらの寝子島暮らしは終わりを告げた。

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さようなら、またいつか。

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