にゃーにゃーにゃーとイタズラ魚｜リアクション

にゃーにゃーにゃーとイタズラ魚

【おひさまが消えそうな頃】

「これはこれで幸せです。ですが、風も強くなってきましたし、珪さんの戻り方は……」
　ひとしきり、愛しい人のにゃんこな存在を堪能しつくした頃。
　日も傾き始め、うっすらとした夕暮れが目に入ってくる。
　空色は、暖かさよりも、終わりの始まりを告げるようなほんのり寂しく冷たいオレンジ色。
　このまま空気も冷えてなっていくことだろう。そうなれば、今度気になるのは『珪は戻れるのだろうか』という当たり前の心配が沸き上がるのも当然だ。

「（にゃーにゃーにゃーの日だけなら今日までのはず）」
　神魂効果はまず長く続くものでもない。そう思いながらも不安にあたりを見渡せば、少し離れた所で祭りを取り仕切る一部の人々が網を持ってバタバタしているのが目に入る。
「――？」
　何をしているのか全く分からないが、しばしの小さな騒乱の後、誰かの声が響き渡った。

「捕まえたにゃー！　このいたずら魚めにゃ～！！　これで人をもう猫にはさせないにゃー！！」
　――どうやらこの祭りにも、様々にして問題というものがあるようだ。今回の珪が猫になった事変もこれが原因であるのならば、後はもう時間が解決してくれることだろう。

　夕暮れ時。ひたりと冷たい風が、一人と一匹の間を駆け抜けた。
「くしゅんっ」
　肌に染み入る２月の冷たさに、綾花が微かながらにくしゃみをする。膝の上の珪も完全に目を覚ました様子で、
「にゃぁ？」
　綾花を見上げては心配そうに小首を傾げて小さく鳴いた。
「ああ、大丈夫です。もう少しそのままのようですけれども……帰りましょうか、珪さん」
　綾花は自分の着ていたコートの胸前のボタンを２つ外すと、体に空いた空間にそっと猫となった珪を入れて抱きかかえた。
　すぽん、と猫の珪が綾花の胸元からひょこんと顔だけ綺麗に出した。
　まるでぬいぐるみでも抱き込んでいるような可愛さがあるが、ぬいぐるみではない珪猫は綾花の温かなコートの居心地も悪くないのか、まんざらでも無さそうにおすまししている。
「ふふ、では珪さん。帰りましょうか」
　まだまだ祭りで賑やかなエノコロ岬の坂を、一足早く降りていく。
　何の祭かは分からないままであったが、心地よさと猫耳しっぽの珪の身の潜め場所としては、あって良かったと思う。

　抱えて歩く夜の町並み。綾花は、もふっと身をよじった珪の猫毛並みを、コートの中と顔に感じて、その幸せからにっこりとした幸福あふれる微笑みを浮かべて歩く。
「珪さん、あったかい」
　珪はこの状態だが、その在居アパートの場所は把握している。猫姿の珪をそのままには出来ないのであれば、せめて玄関前まででも連れていければと思ったのだ。
　ゆっくり歩く幸せ時間。アパートが近づくと、ここにいつもいる人間の珪の姿と、今こうして胸の中にいる猫の珪の姿が重なって。
　それが嬉しかったり、もうすぐ一緒のデートも終わってしまう事が少し寂しかったりもして――

「戻るまで、玄関前で待っていても……あれ？　鍵が開きっぱなし……」
　綾花が玄関先まで辿り着き、そっとドアノブに手を掛ければ、猫の珪が「にゃあ」と鳴くと同時に、ドアはそのまま開いてしまった。どうやら珪は家を出る際に、鍵を締め忘れてしまったのかも知れない。
　いつもであれば心配ではあるが、今日ばかりは願ったり適ったりだ。
「失礼します……！」
　綺麗に整っているとは言え、一人暮らしの男性の部屋。しかも自分の好きな人とはいえ、相手はお世話になっている教師でもあるのだから、それは緊張しない方に無理があるというものだ。
　だから、ゆっくりと、お邪魔するのは玄関先のみで。
　綾花は、そっと猫姿の珪を下ろす。黒猫の珪は玄関で「にゃあ」と鳴いて、納得しているように頷くような仕草を見せた。
「……珪さん、おやすみなさい」
　今日一日は、とても新鮮な凄い一日。だが、名残惜しいけれども本日はここまで。
　綾花が笑顔で珪の頭を撫でると、猫の珪も嬉しそうにぐしっとその手に頭を寄せて、再び「にゃ～ん」と鳴き声を上げたのだ。

このページにイラストを設定する