【怪談・百合ヶ淵】

　ダンナさま、聞いてくださいよ。あたし、見ちまったんですよ。
　なにをって？　幽霊ですよ、ゆうれい！　暗闇にぼんやり浮かび上がってひゅ～どろろ、ってなもんです。
　そんでもってその幽霊、なにかを紙にしたためながら言うんです。

「おねロリ最高、愛でれば尊死（とおとし）☆」
　おねろりってなにかって？　あたしが知るもんかい。
　いえね、先日、奥さまのおつかいで町人街のほうへ足を伸ばしたんです。ほら、日本橋の薬種問屋に竹瀝を買いに。ここんとこ奥さま、お加減がよろしくないんだそうで……あれダンナさま、ご存じでない？　奥方のことはちゃあんと気を配って差し上げないと。
　ともかくね、その日はちょいとおつかいに手間取っちまって、帰りにはすっかり日が暮れちまったんでさ。夜四つ頃でしたかね、そんでまあ、こりゃもう仕方ねえってことで。へへへ、あたしの悪いクセが出ちまいまして。橋のあたりにね、夜鳴き蕎麦屋が立つんです。これが美味いのなんのって……ああいや、もちろん奥さまのお許しはいただいておりますよ？　あれご存じでない。ダンナさまがお勤めで遅い時なんか、奥さまのご相伴に与りましてね、なんどか蕎麦をいただきました。
　近頃は夜が冷えるもんで、あったかい蕎麦が五臓六腑に染みわたり……そいで食い終わってああ美味かった、ってところで蕎麦屋の親父が言うんです。お客さん、どちらへお帰りで？　ははあ竹河岸通りのあたりで、っつうと向こうの道をとおりますわな。いやなに、お客さんみたいな若い女子はちょいと気をつけたほうがいい。なにをって、出るってんですよ、あのへんの通りにね。黒髪の、女の幽霊だそうですよ。
　……いえまあね、あたしだって半信半疑でしたよ？　ダンナさまが疑うのも無理はねえってもんです。けどあたしもね、見ちまったんですよ。その幽霊を。
　暗い夜道にぼんやりとね。なるほど黒い髪だ。馬のしっぽみたいにひっつめてて、足はあるんだが、地べたについてない。ふうわり浮いてるんです。あたしはおどろいて、おそろしくて、情けねえことに手足がかたまっちまって、ただただそいつを見てた。
　幽霊はね、浮かびながら、なにかを書いてた。硯も墨もないのに、筆をさらりとひとはしりさせたら、紙になにやら絵が浮かび上がる。こりゃたまげた。夢でも見てるみてえでしたよ、あたしゃ。
　そいで幽霊がふとあたしに気づいて、くるりと振り向いて。笑うんですよ。笑って言ったんです。
「姉妹百合も良き」



　気が遠くなって、目が覚めたら明け六つでした。つまりそれが朝帰りの理由ってわけで……あ、いえ、はあ。面目ねえっす。
　け、けれどね、ダンナさま！　こっからがこの話の不可思議なとこでして！
　目が覚めたあたしの足元に、紙っぺらが落ちてたんです。間違いない、こりゃあの幽霊がなにやら書きつけてた紙だ！
　なにが書かれてたかって？　なあんだ、ダンナさまも気になるんじゃあないですか。それがね、女がふたり抱き合ってるような絵でしてね。小さい童と、いくらか年かさの……幽霊の言葉を信じるなら、姉妹でしょうかね。なんつーか、なまめかしいつーか。イヤラシイつーか。それはまあいいんだが、あたしは紙の女たちの脇に名前が書かれてるのに気がついた。なんて名前かって？　気になりますか、ダンナさま？
　童の横に、お小夜。へへ、驚きました？　そう、なんとこれが、あたしの名前なんです！
　もうひとりの女ですか？　そっちはね、お時。狐につままれた気分でしたよ。それはね、あたしの死んだ姉の名前だったんです。器量よしで自慢の姉だったんですが、たまたま好いた男が妻子持ちでね。密通は死罪だ。姉ちゃんは身を引こうとしたが、男があきらめなかった。別れるだの別れないだの……まあ、その後はお定まり。姉は世をはかなんでか、首をくくって死んじまいました。まっ、あたしがうんと小せえ頃の話でさ。
　おやダンナさま、どうかされました？　お顔が青いですよ。
　しかし気になるのは、その絵です。それを持ってあたしがぼんやり帰り道を歩いてたら、通りすがりの棒手振りが言うんですよ。ありゃあ、そいつはお乱先生の百合絵でねえか！
　お乱ってのは戯画を描く絵描き先生で、近ごろ江戸中で大流行りなんだとか。けど、そのセンセイの顔を見たもんは誰ひとりとしていないそうですよ。噂じゃあ正体は幽霊じゃねえか、なんて言われてるそうでしてね、ははは。幽霊なもんで壁も障子もすり抜けて、誰も知りゃあしないはずのことまで絵に描けるんだろうって。
　ダンナさま。誓って言いますが、あたしゃこれまで、姉の死についてあれこれほじくり返そうだなんて思いもしなかったよ。器量よしでやさしくって、大好きだった姉ちゃんだけど、馬鹿な死に方をしたもんだ。かわいそうに、つってね。そう思ってたよ。けどねえ……。
　お乱先生ってお人は本当に、幽霊かもしれないね。先生の描いた戯画を、あたしはいくつも読んでみたよ。お小夜とお時の出てくるハナシもね。不可思議なのはさあ……ダンナさま。その戯画じゃあ、お時が死んだのは自ら首くくったわけじゃなくってね、殺されたっていうんですよ。そんなことがあるかねえ？
　ダンナさま。あんたなら、知ってるのかもしれねえと思ってね。ぜひ聞かせてほしいもんだ。ねえ？
　なんだってお時を殺した男が、ダンナさま、あんたと同じ名前なのかねえ？
　おや言い逃れなさる。へえ。お小夜にお時だなんてありふれた名前だと。たしかに。だいたい今さら、もう十年も前の話だし、首くくっただのくくられただの分かるもんか、と。たしかに。
　ま、いいさ。言ったでしょう？　あたしのうんと小せえ頃の、そうあの絵みたいな童だった頃の話ですよ。あたしはね、ダンナさまを許したっていい。あたしはね？　けどねえ……姉ちゃんがあんたを許すかね。
　え？　だってほら。先からずうっと、あんたのことをにらんでるからさ。誰って、だから、姉ちゃんがさ。
　じいっと、あんたの後ろでさ。












「あのう、乱蘭先生？　そろそろ次の作品をぜひ」
「拙者、おねロリはいささか食傷気味でござる……」
「な、なんと！？　では次はいかようなものをお描きに？」

「おねショタしか勝たん！！」