ただしい屋上の使い方｜リアクション

ただしい屋上の使い方

【女の子のフィギュアってスカートの中とか気になりますよね】

「うーみーが青いーな、きれいーだーなー……」
　星ヶ丘寮のオープンテラス。
　その隅っこから、先程からずっと魂の抜けたような歌が地味な呪詛のように響いてくる……。

　八十八旗信彦は、困窮していた。進退窮まっていた。
　人生に袋小路があるとしたら今まさにここかも知れないと思うほどに、限界まで追い詰められ途方に暮れていた。
　今は１月、大学受験を前にして期末試験を赤点デッドラインの間際で過ごした信彦は窮地に立たされていたのだ。
『英語の勉強を、せねばならない』――分かっている。分かっていたが、三年もの間、筋金入りで苦手としてきた分野は、払拭どころか補うことすらままならない。
　しかも、致命的な事に。英語の成績において、そのあまりの惨劇に愛しい信彦の彼女からは『勉強の邪魔をしたくない』と気を使われてしまい、年末年始の高校生活最後となる記念日に誘ったデートにすら応じてはもらえなかった。
　こうなっては、もはや英語の勉強どころではない。アルファベットが目に入れば恐怖心を煽り、トラウマで鳥肌が立つレベル――それは直球かつシンプルに言うと、地獄であった。

　そうして、癒やしすらも消え果てた信彦が茫洋と立ち尽くす、オープンテラスの隅っこで。見渡せる海はどこまでも青く、水平線と接面するさまが見える青空ははるか彼方まで広がっていた。
　しかし、もうここまで清々しいと、疲労困憊な信彦を受け入れるどころかこちらの疲弊状態など知らんとばかりに、全面拒否されているかのようにすら見えてくる――重傷だった。

「ははは……空もきれいだなー、――……？」
　そんな瞳からハイライトが消え去った信彦の目に、何やら海の向こうから不思議な光景が見え始めた。
　遠くから、無数の風船がぷかぷかと空を飛んでくる。色とりどりの風船はとてもファンタジックだが、これが現実だとしたらかなりの数だ。
「えっ、ナニコレ？」
　しばらく見ていると、どんどんと近づいてきた風船のひとつが、コトリと地面に落下した。透明で直前まで判断がつかなかった風船のひとつひとつには、様々な形の瓶が結び付けられており、その内のひとつが光を反射しキラリと光った。
「釣瓶落とし、ってこと？　妖怪の方？」
　最近の寝子島には『妖怪』という分類の存在も普通に目の当たりにする事がある。しかし、信彦が海からこちらまで辺りを見渡しても、その原因らしきものは見当たらない。
「これって、ヤバいヤツじゃね？」
　信彦の上空を通過していく風船も多くなってきた。急に落下して人の頭に直撃すれば怪我では済まないが、今のところ風船の動きはゆるやかであり、海上でウミネコが風船をつついても、それで割れる様子はない。風船は見た目以上に頑丈なようだ。

　そのような風船のひとつが、信彦の前にも漂って来る。普通ではない風船であっても、ぶら下がっているには若干大ぶりの瓶が気になって、信彦がなんとはなしに手を伸ばす。すると、風船はパン！　と目が覚めるような音がして跡形もなく消え去った。
　両手の中には透明な瓶がひとつ。しかし、先程と違うのはさっきまで空だった瓶の中に、『一体のフィギュア』が入っている事――
「ん？　これは……っ！！」

　それは、寝子島の制服を来た女の子のフィギュア――しかも、見れば見るほど、恋人そっくり。甘えるポーズまで完璧なハイクオリティーの一品だ。
　一瞬、手に取ってみたいと蓋に手を掛ける。しかし、信彦は即座に察した。これは、蓋から出したら消えてしまうものであると。

「おおおおぉ……！！」
　直接触れられないジレンマはある。
　しかし会えない分、せめて心の癒しにはなったかも知れない。
　ただ……それで英語の苦手意識が払拭出来るかは、また別の話である事には間違いない――

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