ただしい屋上の使い方｜リアクション

ただしい屋上の使い方

【夢は、この手で】

　晴れ渡る寝子島の空に、伸びやかな声が響き渡る。
　寝子島アニメーション学院、屋上にて。近くを通り、明るい日差しにも負けない声の方に目を向ければ、落合まゆらが大きく発声練習をしている姿が見受けられることだろう。

「んー、今日も良い天気」
　そして、天高い空に向かって伸びをひとつ。
　まゆらは、この学院の声優科に所属している学生だ。新年を迎えて年も変わり、所属事務所も決まった今、ついにめでたく、今年から高校時代を過ごした寝子島を離れる事が決まったのだ。
　否――この表現は、的確ではないかも知れない。
　まゆらが目指す業界は、生半可な覚悟では生きられない。仕事を得るためには過酷なオーディションを受け続けねばならず、仕事を得ても、油断をすれば人知れずその名前は忘れ去られるか、そもそも覚えてすらもらえない。
　文字通り、生き残れない。故に、まゆらはその業界の最前線とも言える、事務所のある東京に拠点を置くことにしたのだ。
　――めでたい出来事でもあるが、同時に背水の陣にも近い覚悟。それらを伴って、まゆらは今日も練習に励んでいる――

　不安にならないかと言えば嘘になる。故に、更にひたすらに練習に励む日々。
　そんな熱心に、特訓にも近い練習に励むまゆらの後ろ頭に、こつんと何かがぶつかる感覚がした。
「――っ？」
　硬い感触だが、唐突に石を投げられた等にしては痛くない。本当に、硬質の何かが可能な限り優しく後頭部に当たった感触。
　一心に練習していたまゆらは、そこでようやく、周囲に瓶が括り付けられた風船があちこちに飛ぶ光景を目の当たりにした。
　驚きつつも、ひとつ。まゆらは正面にゆらゆらと浮かんでいる風船の瓶に手を伸ばす。
　すると、パンッ、と。軽くも心地よい音を立てて風船が割れ、目の前から消失した。残されたのは、驚く程に澄んだ縦長の円柱形をした瓶がひとつ。
「ん？　中に何か入ってる」
　おしゃれなコルクで封がされていた蓋を開けて、瓶を傾けると、滑り落ちるようにそれはまゆらの手に収まった。
「なになに……え――？」
　手に丸まっていた紙を広げれば、中身は一枚の書面だった。そこには、まゆらの名前がしたためられている。
　次に目に飛び込んできた文字は『合格通知』――その言葉が、紙の上に厳かに載せられていた。何かのオーディションの通知――まゆらは驚きに半ば息をつまらせながら、大きく目を見開いてそこに描かれている文字を追い掛けた。
　内容としては、まゆらも知る大人気少女漫画が秋アニメとして放映される事になり、この通知は、明るく元気なヒロイン役にまゆらが抜擢され、合格したというものだった。

「ど、どういうこと？　いきなりヒロイン？」
　広げられた紙の手触りは本物だ。今、これはこの瞬間、確かに存在しているものだ。
　己の心がどこかで囁く。これはチャンスかもしれない、と。
　だが、次の瞬間には、それは大きな違和感となってまゆらに押し寄せた。
　このまま行けば『夢をかなえる――ことに、なるのだろうか？』と。

　そう、
　自分の追い掛けていた夢とは、こんなにも簡単なものだったのだろうか、と。

　まゆらは、手の中にある紙をじっと見つめた。
　これは、きっと簡単に夢を叶えてくれる魔法のチケット。それは、まゆらの願いであり願望だ。
　それは、間違いない。だが、
「違う、よね」

　願望と――叶えたい夢は違うのだ。
　こんな簡単に叶えられる夢の為に、ここまで努力してきた訳では無い。
　まゆらの夢は、必死の覚悟と血の滲むような努力の果てに、自分で掴むからこそ、意味がある。

　そうして、手にしていた紙は、こまかくこまかく。破かれた紙片となって屋上からの風に流され消えていく。
　それを見送るまゆらの瞳は、一瞬寂しく、しかし瞬きの後に続いたきらめく輝きは、確かな希望に満ちていた。

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