風邪を引いたら｜リアクション

風邪を引いたら

（あいつ……）

　桜井ラッセルがフクロウとなって夜の遊覧飛行を楽しむ間、寒風が吹き荒んでいた。おかげで風に乗りラクをすることができたが、いささか鳥類のあたたかな羽毛を過信しすぎたらしい。
　風邪を引き、寝床にもぐり込む。痛む節々に難儀しつつ、上空から眺めた光景にまじり込む、見覚えある顔を思い浮かべた。
（寝子島にいるはずねーんだけどなぁ）
　ろっこん能力を使いこなす訓練のため、という名目もあり、ラッセルは日々寝子島を俯瞰している。カナリアのみならず猛禽類も含む様々な鳥類へと変化できるようになったのは、神魂事変相次ぐ寝子島で、ラッセルにとって大きな武器となろう。
　そんな中で目についた、あの姿。今は本土にいるはずの、かつての友人だ。といっても本当に彼であるなら数年ぶりの邂逅であり、はっきりとした確信は無かった。確かめてみるべきかと逡巡しているうち、見失ってしまったのだった。
　咳き込み、
「痛って！」
　身体をくの字に折った衝撃で全身がひどく痛み、悶絶しつつ枕へ倒れ込む。
（まあ……気のせいだよな。あー寝よ寝よ！　今日は何も考えないで寝るぞー）
　風邪引きの時はひたすらに、石くれか冬眠中の熊のごとく眠る、これに限る。幸いにして大病に見舞われたこともないが、小さな風邪など引いたらラッセルはいつもそうして凌いできた。今回もそうして、時が過ぎるのを待つのみだ。
（けど、あいつ……もしかして、寝子島に？　いや、まさか……）
　桜花寮の寮生たちはみな授業中だし、耳を澄ましても物音ひとつ聞こえてこない。孤独が身に染みる。孤独を感じると、つい考え込んでしまう。余計な思考が巡り巡る。
「……しんどい」
　ついつい、声に出た。

　いわゆる引きこもりがちな子だった。小学校の時だ。春の陽気に浮かれる子どもたち。確か写生大会だった。
「すごいな、絵！」
　唐突な声に、思わずびくりと固まった。
　陽光を背に見下ろす彼は、輝いて見えた。七色に色づいていた。後にそれは彼の明るい性質が反映されての印象であったと気づいた。
「なあ、俺も隣で描いていいか？」
　言葉の意味を理解できず、首を傾げた。さぞ間の抜けた顔をしていたことだろう。
　しばし考えて、ようやく思い至った時、急いで首肯した。何度も何度も。彼の気が変わらぬうちにとでも考えたのかもしれない。
　ややあって隣に腰を下ろし、彼は写生を始めた。
　自分になど声をかける者があろうかと、そう思っていた。身に染みていたと言ってもいい。ラッセルにとって、何かが変わり始めた瞬間だった。

「お～い。桜井～。ダイジョブか～」
「……んあ？」
　午後６時を回っていた。声の主は寮生の一人で、起きてこないラッセルを心配し様子を見に来てくれたらしい。
「んー。平気……」
「そっか。メシどーする？」
「あ～。いいや、いらね～」
「あいよ。まあ食欲出たら寮母さんに言えよな、とっといてくれるってさ」
「おー。サンキュ」
　寮生たちも授業や部活動を終え、戻ってきたようだ。そこかしこから届く物音をいつもはやかましく思うが、今日だけは安堵する。
　扉が閉まると再び、布団にくるまった。
（何か、いい夢見たような）
　子どもの頃。懐かしく輝かしい思い出。といって夢の内容までも覚えておらず、おぼろげだ。
　ただ、彼が現れたことだけは覚えている。
（……どうしてっかな。今頃）
　仲間内に起こったいざこざで、結果、高校へ進んでからはすっかり疎遠になってしまった彼が寝子島へやってきたのなら、ラッセルも嬉しく思う。
　そんなふうに思い出したから、昔の夢など見たのだろうか。
「もっかい寝るか……」
　夢の続きでも見られればいい。甘やかな過去に、今は浸っていたい。身も心も弱りがちな今くらい、許されてもいいではないか。
　ラッセルはまどろむ。いつしか夢へと迷い込み、再び友とキャンバスへペンを走らせる……が、起きた時、それを覚えていられるかどうか。
「……かいどう……」
　その幸せな寝顔を見る者はなかった。

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