光を正と言えなくても闇から目を背けない｜リアクション

光を正と言えなくても闇から目を背けない

　少し薄暗くなってきた桜花寮の入り口前。碧南より遅れて寮に戻った柚乃は、はにかんでスマホを見つめる碧南を見つけた。
　バスケ部を率いる時の、キリッとした頼りになる先輩とは違う、少し気の抜けた微笑み。
（……きっと、あの人にだけ見せる顔）
　ギリッと奥歯を噛みしめて、問い詰めないように言葉を飲み込む。
　何を見てたんですか、誰とメッセージを交わしていたんですか、どうして他の人に笑いかけるんですか。

　――私は先輩に『初めて』を捧げたのに？　あはははははっ！

　嘲る笑い声は、よく突っかかってくる後輩の物では無かった。
　堪えもせず大きな声で笑い続ける黒い靄は人の形を取り始め、次第にそれは鏡写しのようになる。
「自信が無くて何も出来ないくせに、わかって欲しいだなんて図々しいのよ」
「私はっ！　碧南先輩に好きな人がいるから……っ」
「先輩思いの後輩のままでいたいなら、好きにすれば？　私はこれからデートだから」
　幸せそうにスマホを見つめる碧南の元へ、『私』がゆっくりと歩いて行く。
　あの碧南は、片想いの人から連絡があって嬉しそうなわけではないのだろうか？
　あんな顔をして、待っている相手は。
「ねえ、デートって」
　そんなわけがないという思いと、そうであってほしいという願い。柚乃は緊張して言葉を続けられなかった。
「……入れ替わってみない？　碧南先輩は『あの人』も私も平等に愛してくれる」
　これはきっと、夢なのだ。勇気のある自分と、自分も見てくれる理想の碧南がいる夢の世界。
　現実から目を逸らせば手に入る、苦しみの無い甘い世界。
「柚乃？」
　こちらに気づいた碧南が、ぱぁっと顔を輝かせる。
　ずっと見たかった、ずっとなりたかった特別に、ここでならなれる。
「お待たせしました、碧南先輩！」
　駆け出すのを了承ととった、もう一人の柚乃は黒い靄へと戻る。深い深い笑みを刻み込んでいたことなど、気づかないままに――。

「それでね、そろそろコスモスとか秋の花も見頃じゃない？　今度の休みは昼練も早めに終わるし……」
　今夜は秋の味覚につられてしまい、食欲の秋だけど。そう悪戯っぽく笑う碧南と訪れたのは、シーサイドタウンのレストラン。狭さも程よいカップルシートで、間接照明が雰囲気良く照らしてくれている。
　ちゃんと寮には届けを出しているから、少々であれば門限は気にしなくていい。こんなにゆったりと碧南と２人で過ごせるなんて、やっぱりここでは特別な関係なのだろうか。
「そういう……綺麗な風景は、やっぱり好きな人と見た方がいいんじゃ」
「ええ～？　だから柚乃を誘ってるのに、意地悪言わないでよ」
「す、すみません碧南先輩！　まさか、そんな風に言ってもらえると思わなくてっ」
　あわあわする柚乃の手を掴んだ碧南は、目を逸らすのを許さぬように腕を引いた。反射的に顔を上げた柚乃が見たのは、コートに立ったときのように強い瞳をした碧南だった。
「みーな。……今は先輩じゃないでしょ、碧南って呼んで？」
「ええっ!?　み、み…………みな、さん」
「やりなおし」
　改めて手首を握り直した碧南は、少しだけ顔を寄せる。恥ずかしくて柚乃が上体を反らせばその分また近づかれ、狭い座席の壁にすぐ背中がついてしまった。
「みな」
「きこえなーい、もう一度？」
　ずいっともう一段顔が寄って、鼻先が触れる。柚乃は堪えられないと言わんばかりに叫んだ。
「――碧南っ！」
「うん、今度からはそう呼んでね」
　あっけなく離れていく碧南を、ドキドキしながら柚乃は見つめていて。
　これは『この世界だから』手に入る幸せだと実感した。他に同じくらい愛している人がいたとしても、私を愛してくれていることに変わりはない。
（私は、碧南にこのまま愛されていたい）
　どうかこの夢が終わらないように。柚乃は目覚めることを拒絶して、夢の世界を守るように心の塔を茨で囲った。

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