予想できない雨と処暑にぶり返す暑さは恋と似ている｜リアクション

予想できない雨と処暑にぶり返す暑さは恋と似ている

　ぱらりとページを捲った先、新書であるはずの本に染みが一つ、二つ。
「……おや？」
　手にも、頭にも。ぽつぽつと小さな水滴に読書の邪魔をされ、倉前七瀬はようやっと空を仰いだ。
「これはこれは、立派な雨雲ですねぇ」
　さっきまでは読書日和な天気だったのに。すぐにやむだろうと言えない雲の厚さに、七瀬は大事な栞を手に取った。
　あの時、彼はたまたま持っていたからこれをくれたのだろうか？　だとしたら、自分の誕生花であるヒルガオを使ってくれていたのは嬉しく思う。
　それとも、自分の誕生日が近くて用意してくれていたのだろうか？　それもそれで嬉しいが、ちょっと都合良く考えすぎかと苦笑してしまう。
（ふむん……？　まあ嬉しかーってことには変わらんとですね）
　幸せそうに本へ挟む頃には雨が本降りになってきて、七瀬は慌てて雨宿り出来そうな場所を求めて走り出す。
　本が濡れてしまう前にと駆け込んだのは、喫茶店の軒先だった。
「いやはや、秋霖というものでしょうか」
　秋の長雨。だとすれば暫くは外での読書は天気に恵まれないかもしれない。もしかしたら、この雨だって日暮れまでにやんでくれるかどうか。
　うーんと右手の空を見ても、ううーんと左手の空を見ても。端から端までみっちりと雨雲だ、雲の切れ目なんて見えやしない。
　こうしていつまでも店先にいるわけにもいかない。幸いにも喫茶店のようだし、雨宿りをしながらのんびり読書をするのもいいだろう。
　そうと決まれば、あとは座席が混み合っていないことを祈るだけ。一人だし、カウンターの端でも空いていればと言う気持ちで店内を一瞥する。
「あれは……ウォルター先生！」
　ボックス席で一人、読書をしていたウォルター・Bはゆっくりと顔を上げる。視線の先に、髪も服もしっとり濡れているのにとても嬉しそうな顔をした七瀬がいて、雨の日にも散歩をはしゃぐ犬のようだと笑いを耐えた。
「降られたねぇ、雨宿り？」
「はい、傘持っとらんくて。あ、先生、相席よかですか？」
　どうぞと促されて席に着くと、ウォルターは読みかけの本をパタリと閉じて鞄にしまった。その時、ちらりと折りたたみ傘が見えて、七瀬は意外そうに呟く。
「ウォルター先生は、傘を持っとるんですねぇ」
「最近の天気は変わりやすいからねぇ」
「ほら、イギリスの人って傘は持ち歩かんってよく言いますから」
「雨の質というか、降り方が違うからねぇ。教職をする頃には持ち始めてたかな」
　イギリスの雨事情について話してくれるウォルターを、未読の本を開くときのような気持ちで七瀬は見つめた。その声に耳を傾けはしゃぐ鼓動は、『ラッキー』なだけだろうか。

　雨宿りの理由があれば、と下心があったから迷わず声をかけたのか。空気を読めない自分だから思わず声をかけたのか。……あるいはどちらも、なのか。
　もし雨足が徐々に強まったなら引き留められる――とまでは思わなかった。傘があって帰れるなら、酷くならないうちに帰った方がいいに決まっている。
　友達だというのに、なかなか遠慮の距離が取れないような気はしていて、「やむまで一緒に」なんて冗談めかしたわがままも浮かばないのは、彼の雰囲気がそうさせるのか、それとも自分の性格なのか。
　いい距離感はなかなか難しい。それは人間関係において、誰が相手でもそうだと思う。
　まだ生徒なのかもと……思わなくも無いけれど。恩師であることには変わりなくて、だからこそ大切な物もあって。
　ただ面白いねぇって。彼が笑って穏やかな時を過ごしてくれたら良いなと、そう願う。