夏なので、人魚はじめました～寝子島マリンパラダイス～｜リアクション

夏なので、人魚はじめました～寝子島マリンパラダイス～

　祖父母を頼れるとは言え、バイトに家事に課題にと追われる梓智依子がもっとも大事にする時間は、愛娘の楓と過ごすこと。
　娘は可愛い盛りの４歳だ。些細な日常でも目新しい仕草を見せてくれるし、目にも心にもスマートフォンにも記録したい。
（多分今年の夏休み中に楓とどこかへ出かけるのは、これが最後になる……かな）
　そうとは口に出さないけれど。楓もそれを感じ取ってか、水族館に着いてすぐはしゃぐと思っていたのに智依子の手をしっかり握って離さなかった。
「……おさかなさん見たら、夏休み終わっちゃう？」
「そうだね、お出かけは少なくなるかもしれないけど……ママはずっと楓のママよ？」
　お互いに学校や幼稚園が始まっても、１日顔も見られないほど忙しい日々にはならないようにするし、娘が寂しがらないように気を配りたい。智依子が娘と過ごしたい気持ちも大きいけれど、母として甘えて頼ってくれるなら全力で応えてあげたいからだ。
　優しく微笑んで、繋いだ手を握り返す。この夏休みが特別なわけじゃなくて、いつまでも楓が特別なのだと。
「わたしもママとずっといっしょ！」
　繋いだ手をゆらゆらと振り、機嫌が直っただろう楓の表情にホッとする。
　夏が終わっても、秋の美味しいものや楽しいお祭り、冬にも夏ほどではないけど長いお休みがあることを教えてあげよう。学校が楽しいところなんだよと言えるように学生も頑張ろう。
　娘の笑顔は、そういう力をくれる気がした。

　水槽巡りを始めると、楓は昼とは違う様相の水族館に興味津々だった。
　魚が寝ている所なんて初めて見ただろうし、深海魚も不思議な生き物に見えただろう。突然、見目の変わった魚を見て「おさかなのまねー」なんて変顔をしてきた時には、チャンスを逃さずスマホで撮影したけれど……何枚かぶれてしまったようだ。
　今日は泊まりだし、めいっぱい楓がはしゃいでも帰りの心配をしなくていいのもあって「次は、どんなお魚かな？」と智依子も少し娘の目線に近づけて楽しんでいたとき、
「にんぎょさんだっ！」
　巨大水槽の中、悠々とイルカたちと泳ぐ人魚がいた。すぐにマーメイドスイムだと気づいたけれど、それでも突然現れると童話の世界に入ったかのような気分になる。
　ぼんやり、その幻想的な景色を眺めていると、突然現実に引き戻された。
「わたしもにんぎょさんになりたい！」
「えぇ……？」
　見た所、こんなに小さな子が泳いでいる様子はない。せめて、衣装だけでも着られればと思って係員に声をかける。意外にもその返答は、「３歳以上で保護者同伴であれば」ということだった。
　衣装を選ぶだけでも大騒ぎで、泳ぐ時間が無くなっちゃうよと声をかけ。水槽の中へはスマホも持ち込めないので泳いでいる姿は水槽向こうのスタッフにお任せするとして。
「うわぁーっ！」
　小さなプールでマーメイドフィンの使い方を学べば、大水槽へ。ガラスの仕切りもなくすぐ側をイルカが泳いでいることに目をキラキラさせる楓を、自由に泳がせたいところだけど……。
「楓を食べちゃうお魚はいないけど、ママから離れないでね？」
「はーいっ！」
　手を取り合って、ゆっくりとダイビング。水族館として整えられているおかげで、遭遇が難しい生き物と一緒に泳ぐことだってできるのだ。
　さすがにはしゃぎすぎたのと慣れないフィンで疲れたのか、楓は休憩したいと水槽の端に座り始めるのも早かったけれど、
「ママ、イルカさんと競争したり踊ってきて！」
　まだまだ遊び足りないという顔でリクエストされたら、断れるわけもなく。
　人魚姫は歌ではなくダンスが得意なのではないかと噂されるくらい、智依子のダンスは人を魅了した。

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