夏の初めに｜リアクション

夏の初めに

　朱鷺色の波が風に跳ねて薄紅の雫となる。
　茜空に霧と散って緋色の波に溶け、朱金の砂浜に寄せては返す。
　柔らかく暮れなずむ海を眺め、穏やかにさざめく波に爪先を洗い、少年が歩いている。幼い唇に懐かしい響きを湛えた異国の子守歌を乗せ、絶え間なく吹き寄せる海風に海の色した髪を躍らせるままに進めていた歩みがふと止まる。
　歌が途切れ、少年は笑う。歌に代わり誰かの名を口にし、波を蹴立てて駆ける。
　抱き着くようにしがみつくのは、枯れ枝じみて皺ばんだ老翁の手。乾いた指先を幼い手に握りしめられ、輝く海色の瞳に見つめられ、遥かな仙境の住人じみて長い白髭の翁は微笑んだらしかった。
　少年が喋り、老人が笑う。
　暮れなずむ夏の寝子ヶ浜海岸を眺める少年と老人の背に触れているのは、さざなみの音とその音によく似た柔らかな夕陽の色──

　瞼の裏に残っていた光景は、身体を起こせば潮騒のように遠くなった。
　夢に聞いた異国の子守歌の旋律を胸の裡になぞりながら、枕元のケースに仕舞っていた眼鏡を取り出して掛ける。いつもより布団が狭い気がしたのもそのはず、傍らには猫のように丸くなって眠る海色の髪した少年。
「……ユニ」
　昨日ふらりと遊びに来てそのまま泊って行った少年の寝顔を見下ろすうち、寂しいような懐かしいような夢の余韻が眠気と共に覚めてゆく。
　最後に残ったのは、夢の中に感じた海の匂い。
　──チハヤ、夏の海って何して遊ぶんだ？
　両手いっぱいに花びらの色したシーグラスを握りしめてやってくるなり真剣な顔して問うた昨日のユニの言葉を思い出す。夢に海を感じたのはきっと、いつだって海からやってくる少年のせいなのだろう。
　夏と海と遊び。矢継ぎ早に並べ立てられたキーワードをもとに、神代千早がまず導き出したのは、
　──スイカ割り？
　砂浜に棒を立ててぐるぐる回ってからスイカを割るために歩き出すのだと話した途端、
　──なんだそれ面白そう！
　ロフトに敷いた布団の上、ユニはお腹を抱えて笑い転げた。他には？、ときらきらと目を輝かせる少年に請われるまま、千早は寝子島花火大会の予定をスマートフォンで調べる。そうしながら、寝子島であまり夏遊びをしてこなかったこと、先日迷い込んだねこ温泉郷で猫の世話係をしたことを話すうち、
(いつの間にか眠ってしまったのか)
　どちらが先に寝入ってしまったのだろうと首を傾げる。ふたりでロフトに布団を延べたときには点いていた電灯は、布団に転がるついでに掛けたタイマー機能によってきちんと消えている。
　丸まって眠っていたユニが不意にうふふと笑みを零した。起きた？、と声を掛けようとする千早の傍ら、ユニは抱きしめていたタオルケットを投げ飛ばして大の字になる。ついでに布団に座す千早の胡坐の膝に足をどすんと乗せ、またくすくす笑う。
(寝てる……)
　子どもならではなダイナミックな寝相を眺め、ロフトの下方にある窓を見遣る。カーテンの向こうはまだ夜らしかった。起きるには早そうだと掛けていた眼鏡をケースに仕舞う。
　タンクトップから覗く少年のお腹にタオルケットを掛け直し、もう一度横になる。
　すぐ傍に聞こえる健やかな寝息を耳にしながら暗がりに瞬く。眼鏡がなくとも見えるふっくらとした頬を何となく指でフニフニすれば、少年の口元がくすぐったそうな笑みに緩んだ。
　胴に抱き着いてくるユニの背中をぽんぽんと叩き、千早は眠れないままにここ最近のことを思い出す。

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