梅雨を歩こう｜リアクション

梅雨を歩こう

　ぱしゃぱしゃと音を立てて、赤い蛇の目傘が境内の石畳を走ってゆく。
　雨はにわかに勢いを増し、土砂降りの様相を呈してきた。
　寝子島神社の軒先に駆けこんで安堵の息を吐き、片夏阿呂江は傘をひと回し。
　水を払って閉じた。
「さっきまで心地の良い小雨だったのに、これがゲリラ豪雨というやつか。しばらくは出られんのー」
　こんな豪雨では参拝客が不在なのも頷ける。阿呂江は今のところ狐妖怪の姿そのままだが、分厚い雨のカーテンが掛かっている限り、人に見られる心配はないだろう。
　踵を返し、本堂の方を向く。
　鐘を鳴らし、拍手と礼で軽くこの神社の主殿に挨拶をする。
　それから社殿の中を見遣れば、そこには赤い目をした猫の板絵が飾ってあった。
　寝子島神社の祭神、お三夜さまだ。
　阿呂江、それを見て少々悪戯心を起こす。
「やることも無し、黒猫の姿を思い描いてやってみるか、変化の術！」
　どろんと得意の変化の術を使えば、狐の耳は黒猫のそれに変じ、ふさふさとした黄金色の尾もほっそりとした黒いそれになる。しかしながら変化したのはそこだけで、おかっぱ頭の少女の姿と紅の着物はそのままだ。
「うーむ、黒猫の耳と尻尾には化けられたがそこしか変えられなかったわい」
　完全な猫の姿へ変化するのにはまだ修業が必要か……とやや肩を落とすもすぐに気を取り直し。
「なに、儂には素質がある！　すぐにでも果たして見せるわ！」
　力強く天を見据える。

「お、お三夜さま……？」

　ふと声が聞こえた。
　振り返ると……
（なぬ、参拝客！？）
　豪雨のカーテンはいまや失せ、さやさやとした小雨に戻っている。
　参拝客は学生のようだ。猫耳猫尾の和服少女という違和感に恐れおののくどころか、こういった奇妙さにはさぞ慣れているようで、祭りでもないのにご顕現とはこれいかにと言わんばかりに、目をキラキラと輝かせて近づいてくる。
　阿呂江は必死に首を振って一歩下がる。
「違う！　儂はお三夜様ではない！　その、使いの者じゃ！」
　口から出まかせだ。
　しかし学生は何か期待してさらに一歩近づいてくる。
　ええい、こうなれば！
「お主にはこれからとても良いことが起こる、ラッキースポットは自宅！　すぐ帰るのじゃ！」

　御神託を受けた、と勘違いした学生は、喜々として家に帰って行った。
　残ったのはわずかばかりの罪悪感。
　人がいなくなったのを見計らうと変化を解いて、改めて社殿へ頭を下げる。
「その、お三夜様には申し訳ないことを……」
　懐を探って、財布をさかさにし全部を賽銭箱にいれる。
　大した量はなかったし、昔の小銭も混じっていたが、なにお三夜様は気にすまい。
「この度の無礼は何卒なにとぞ許してほしいのじゃ……」
　しっかりと手を合わせ悪戯を詫びれば、どこからか「にゃあ……」と柔らかい声が聞こえた気がした。

　雨があがる。
　雲間から指す光の矢が寝子島を照らす。
　梅雨ももう、明けるだろう。

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