抹茶と感じる春の風。～『somnium』｜リアクション

抹茶と感じる春の風。～『somnium』

◆Apr.　とある平日

　仙藤紫が『somnium』を訪れたのは、大学の新学期が始まって少し過ぎた頃だった。
　文系の大学生は暇だと言われる事もあるけれど、どうしてなかなか、当事者からすればそれなりに忙しい。例えば学業の面だけで言っても、まだ2年生になったばかりなのに来年には、専攻によってどの研究室に所属するかを決定しなければならないのだ。
　そう思うと、大学の4年って結構早い、と感じてしまう紫である。とはいえ専攻分野は一応、自分の中で固まってきてはいるけれど──

（もう少し検討したほうがいいかな）

　研究者になるにしろ、専門職になるにしろ、今年の選択次第で人生設計に大きな影響が出るのだ。それを思えば、慎重すぎるくらいがちょうど良いのかもしれない。
　あとは所属している水泳サークルの方でもまた、それなりに忙しくて。基本的には緩いサークルなのだけれど、この時期は新入生の勧誘から始まり、無事に迎えた新入生の世話を見たりと、これまたやる事はそこそこある。
　そんな風に、何かと忙しない日々を送っているうちに、気が付いたらもう4月も半ばになっていた。半月ほども忙しなくしていれば誰も彼も疲れてしまった――訳ではないだろうけれど、今日は授業も早めに終わったし、水泳サークルも休みだったから、急に少し時間が空いてしまって。
　どうしようかな、少し考えてふと思い出し、『somnium』へと足を運んだ。思えば春休みのストロベリーフェア以来、行ってなかったなと気付いたのだ。
　そうしてやって来た『somnium』の、からん、と古風なベルの鳴る扉を押し開けた紫は、お久しぶりです、と言いかけてふと苦笑した。前に来た時からそんなに経っていないはずなのに、なんだかかなり前のような気がしたのだ。
　いくら忙しかったからってそれはないわね、と軽く首を振り、紫は改めて口を開いた。

「こんにちは」
「こんにちは、紫ちゃん」
「いらっしゃい」

　そうして挨拶をすれば、店主夫妻がいつものように、孫でも迎えるかのごとく微笑んで挨拶を返してくれる。夫妻の本物の孫である理子は、今日はまだ学校のようだ。
　いつものようにガラスケースの前に立ち、今日は何があるかな、と覗き込んだ。その日その日で仕入れた物がメニューに並ぶ『somnium』は、幾つかの定番はあるようだけれど、基本的に来るたび品揃えが変わる。
　どうやら今日は、抹茶スイーツが目白押しのようだった。春色の綺麗な緑に染まったガラスケースを見ながら、紫はふうん、と呟く。

「今日は抹茶尽くしなんですね」
「そうなの。良い抹茶を頂いたものだから」

　そんな紫の言葉に伊都子さんが、うふふ、と何だかくすぐったそうに微笑んだ。そうして簡単に話してくれた『事情』を聞いて、そうなんですか、と紫もちょっと微笑んでしまう。
　ずいぶん大変というか、微笑ましいエピソードだな、と思った。そういう事情なら、折角だし自分も少しは消費に貢献しておこうか。
　そう考えて紫はガラスケースの中から抹茶のミルフィーユを選び、ドリンクメニューの抹茶ラテと共に注文した。そのまま少し立ち話をしながら用意出来るのを待ち、トレイを受け取ってイートインスペースの適当な席に落ち着いて、のんびりとした時間とスイーツを堪能する。

「ごちそうさまでした」

　そうして過ごすうち、忙しない日々の疲れがほんの少し癒された気がして紫は、微笑んで夫妻に礼を言い、店を後にしたのだった。

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