◆Apr.　その週末の日曜日

　買ったものを思い返して、梓 智依子はふむ、と1人頷いた。

「買い忘れはない、かな？」

　あれも買ったし、これも買ったし、と指折り数える智依子の足元では、小さな女の子が少し疲れた様子で、けれども好奇心いっぱいにあちらこちらを見回している――智依子の娘、楓だ。
　彼女は14歳の時、自分より一回り以上の男性と恋をした。この恋のためなら死んでもいい――そう思うほどに焦がれた恋だった。
　その結果、授かった娘をシングルマザーとして育てる傍ら、今年から寝子高生になった智依子は今日は、さまざまなものを買い揃えるべくこうして楓と2人、シーサイドタウンまで買い物にやって来たのである。

「うん、大丈夫そうね」

　脳内の買い物メモとのチェックを終えて、智依子はほっと胸を撫で下ろした。何しろ子連れでの買い物はちょっとしたサバイバルだ、買い忘れがあったからもう1度出かけて……なんて、そう簡単には出来やしない。
　ゆえに安堵の笑みを小さく浮かべた智依子は、さてこれからどうしよう？　と思いを巡らせた。このまままっすぐ家に帰るか、それともせっかくだから少し寄り道しようか……？
　うーん、と考えている智依子の手を、くい、と楓が引いた。

「ん？　どうしたの？」
「おかいもの、おわった？」
「終わったわよ」
「じゃあねー、おやつたべたーい」
「おやつ？」

　楓の言葉にはたと時間を確認すれば確かに、ちょっと早いけれど、もうそろそろおやつの時間だ。どうしようか、と辺りを見回した智依子はふと、この辺だと『somnium』が近くにあったな、と思い出した。

（ここ最近行っていないわ……久しぶりに行ってみようかしら）

　そう考えて智依子は楓に声をかけると、しっかりと手を繋いで店へと向かう事にする。少しお疲れだった楓は、おやつが食べられるとあって、すっかりご機嫌になったようだ。
　そんな楓に気を配りつつ、辿りついた久々の『somnium』の扉を開けると、からん、と古風なベルの音が母娘を出迎えてくれた。日曜日の、しかもおやつ時とあってそれなりに込んでいる店内は、程よいざわめきに満ちている。
　それにほっと息を吐いた智依子に、いらっしゃいませ、と柔らかな老婦人の声がかけられた。店主夫人の伊都子さんだ。
　あ、と智依子は伊都子さんに挨拶をした。

「こんにちは。お久しぶりです」
「いらして下すって嬉しいわ」

　智依子の言葉に伊都子さんが、そう言ってにこにこ微笑んだ。ちょうど忙しい時間帯だったようで、ちら、と視線だけ向けてきた高明さんと理子にも、ぺこりと頭を下げて会釈する。
　そんな『大きな人たち』の様子などお構いなしで、楓がガラスケースの中に並んだ数々のスイーツに、わぁ！　と目を輝かせた。

「ケーキいっぱい！」
「あ、楓ダメよ、静かにしなきゃ」

　賑やかにはしゃぎ始めた楓を慌てて宥めていたら、あら良いのよ、と伊都子さんがにこにこ微笑んで楓の前にしゃがみ込む。きょと、と動きを止めて老婦人を見た楓に、うふふ、とにっこりした。

「楓ちゃん、いくつ？」
「4歳になります」
「よんさい」
「あら賢いのねぇ」

　伊都子さんの言葉に智依子が応える傍らで、楓も指で4を作ってはにかみながら見せる。そんな2人を見比べてまた相好を崩してから、伊都子さんが「先に座って待ってらして」と智依子に促した。
　ぺこ、と頭を下げてイートインコーナーへ行き、空いている席に座るとすぐ、理子がお品書きを持ってきてくれる。それを開いてテーブルの真ん中に置き、智依子は楓に笑顔を向けた。

「楓は何にする？」
「パフェがいいー」
「では、この子には抹茶パフェをください。あとは――」

　パラパラとお品書きをめくり、楓には抹茶のパフェとオレンジジュース、自分用にカフェラテと抹茶チーズケーキを、それぞれ注文すると、理子が頷いて戻って行った。その背を見送ってから、そわそわと目を輝かせる楓ににっこりする。

「今お姉さんが用意してくれるから、待ってようね」
「はーい！」

　しっかりと良いお返事で手を上げた楓に、智依子はまたにっこりと目を細めた。そうして運ばれてきたドリンクとスイーツを、楽しく食べて春のほっこりした時間を気持ちよく過ごし。
　ごちそうさまでした、と頭を下げた母娘が仲良く帰って行ったのと、入れ替わりに『somnium』へとやって来たのは水守 流だった。軽く店内を見回して、おー、とちょっと感心してしまう。
　さすがに休日だからだろう、店内のイートインスペースはそこそこ埋まっていて、結構にぎわっていた。あるいはもしかしたら流も見た、ネコッターの美味しそうなスイーツ情報を見てやって来た人も、そこそこ居るのかも知れない――流自身、ちょうど今日は休みだしいってみっか、とやって来たクチだ。
　幸い席は空きが1つあったので、そこに座ることにした。そうして、早速注文するか、と運ばれてきたお品書きを開く――手書きだコレ。
　こってんなー、と思いながらパラパラめくって、書き連ねられている抹茶メニューの数々を眺めた。ドリンクは抹茶ラテで確定として、スイーツは何が良いかな、と真剣な眼差しで何度もメニューをめくり直す。
　抹茶プリンにするか、それとも抹茶のケーキにするか。せっかく抹茶スイーツ目当てでやって来たのだから、思い切り抹茶スイーツを堪能したい、というのが流の偽らざる本音だ。
　とはいえ無い袖は振れないしなぁ……と頭を悩ませた流は、ひとまず財布を覗いて確かめる事にした。中に入っている軍資金を数えて、そこから抹茶ラテの代金と、あれこれのお金を差し引いてみて。

（……うん、今月は余裕ありだな）

　計算上残った金額に、流は内心でガッツポーズをした。それなら、迷った時は両方だ。
　そうと決まればためらわず、流は元気よく手を上げて「すいませーん！」とオーダーした。

「抹茶プリンと抹茶ケーキ、あとドリンクで抹茶ラテくださーい」
「はい、お待ちください」

　そんな流に頷いて戻っていく理子も、今日はちょっと忙しそうだ。そんな店の人達の姿や、周りのテーブルで食べられているスイーツを何となく見ながら――やっぱり抹茶系が多い――待っていたら、さほどかからず注文した品が運ばれてきた。
　テーブルに並べられたドリンクとスイーツに、きたきた、と流は心持ち姿勢を正してテーブルに向き直る。店に入った時にガラスケースでもちらっと見たが、こうして改めて見ても実に美味しそうな抹茶スイーツだ。
　それじゃ早速ケーキから、とフォークを手に取り1口運んだ流は、次の瞬間大きく目を見開いた。

「……うまーい！」

　思わずそう叫んでから慌てて辺りを見回したが、皆それぞれのおしゃべりに夢中で、周りのことなど気にしていないようだ。それにほっと胸を撫で下ろし、流はもう1口食べて目を細めた。
　いい抹茶を贅沢に使ってるな、と思う。下手なスイーツだと濃厚さを出そうとして抹茶味がくどくなったり、苦味ばかりが強調されてしまったりするが、このケーキはただ美味しい、と感じられた。
　なら抹茶プリンの方はどうか、と今度はスプーンを手に1口味わってみれば、これまた実に濃厚で美味しい。

（こりゃ大当たりだな）

　ネコッターに流したやついいセンスしてるぜ、と感心する流である。もちろんスイーツだけでなく、抹茶ラテも実に流好みで良いお味だ。
　最後の1口までしっかりと堪能して、満足満足♪　と流は胃の辺りを嬉しそうに軽く叩いた。それから、もうちょいとゆっくりして、と思いつつ何気なく外を見た流は、そこに出来ていた行列に、ぎょっ、と目を見開く。

（……げ！　もしかして、メシテロジツの効果でてんじゃん！？）

　確かに賑わっているなと思ったが、少なくともさっきまではあんな、入店待ちの列まではなかったはずである。これは流の持つろっこん――空腹時に食べ物を食べて美味しいと思うと周りの人が流と同じものを食べたくなる――の影響ではないだろうか……？
　真偽のほどはともかくとして、流石にこれじゃのんびりできねぇな、と流は席を立ってお会計を済ませると、早々に店を後にした。また今度別のスイーツ食べにこよう、と楽しみに考えながら。