【お花見】逢ひ見んことは命なりけり｜リアクション

【お花見】逢ひ見んことは命なりけり

　はっと息を飲む音が聞こえた。
　自分の口から。
　まるで敗北を認めたように思えて、葉利沢倫理子――Maliceは唇を噛みしめる。

　反射的に身を隠すも右手は、自分の左胸をつかんでいた。握りつぶすくらい、強く。
　許さない。
　声にならない声を上げたのもMaliceだ。すでに倫理子の身体はMaliceが支配して久しい。
　心臓の位置から炎が噴き上がり、我が身を包み込んだようにMaliceは感じている。
　さゆるがキスをしていた。
　さゆるの唇の味なら自分のほうが詳しい。何千回も奪ったから。強引に押し開き、舌を絡め唾液をすすった回数も数え切れない。
　それなのに怒りで身が砕け散りそうだ。
　さゆるは奪われるのではなく、自分からあの女――本当は二十代後半なのにティーンエイジャーに見える怪物、姫木じゅんに口づけを与えたのだ。
　寝子島を離れていたのがまずかったというの。
　Maliceは両手で頭を抱えしゃがみこんだ。
　痛い。頭が痛い。
　自分の内側、蝋に塗り込め檻に放り込んだはずの『倫理子』の記憶がよみがえってくる。ショックで精神が弱っているせいだろうか。
　倫理子十四歳の冬、Maliceは生まれた。
　この日、塾からの帰宅中に彼女はワンボックスカーに乗った半グレ大学生どもに拉致された。監禁され輪姦され、人としての尊厳を踏みにじられた。
　この経験が生み出した私生児、第二人格……それが私、Malice。
　しかしMaliceは倫理子の控えであることを承服しなかった。じわじわと本体を侵食し入れ替わっていった。
　この乗っ取りを完全にすべくMaliceは、倫理子十四歳の冬に決着を付けるべく行動を起こした。
　ダークウェブでその事件のデータを高額で購入したのである。半年前のことだ。
　Maliceは機会をとらえては、当時の犯人たちへの復讐を開始した。
　彼らは罰せられるどころか、一人残らず成功のコースに乗っていた。
　ある者は一流企業の幹部候補生に出世、またあるものは若手官僚として名を馳せ、政界入りが噂されていた。父親から資金提供をうけベンチャービジネスで成功している者、名門大学の大学院生に転じている者もいた。
　揃いも揃って、素敵なエリート面だこと。
　知ってMaliceは会心の笑みを漏らした。
　転落は、落ちる高さが高いほど甘美になる。
　ひとりひとり、たっぷりと時間をかけMaliceは彼らに悪辣なお礼参りを行った。
　大企業の幹部候補生は拳銃の購入が発覚、縁談が水の泡となり懲戒解雇となった。警察が踏み込む直前に、マンションのベランダから飛び降り自殺を遂げている。
　国家公務員は逃げ出そうと道路に飛び出したところで、四トントラックにはねられた。こちらは一命こそとりとめたものの、意識は戻ることなくずっと寝たきりだ。
　ベンチャー企業社長は粉飾決済が明らかになり破綻、逮捕をまぬがれるべく海外に高飛びしたはいいが、そこで安価な麻薬に手を出し廃人になった。現在は物乞いで暮らしているという。
　そうしてついに昨夜、Maliceは最後の一人を破滅させた。主犯格の男だ。
　泣いて許しを請うクズに偽りの希望を与え、それを絶望の闇の刃に変えて止めを刺す。最高じゃない。
　詳細は省くが、数日内にはちょっとした報道が出るだろう。客観的には喜劇、クズの当人にとっては大悲劇のような。
　なのに……時間をかけすぎたというの！
　寝子島を留守にしている間に、泥棒猫に入られたといった気分だった。
　桜の魔力に惹かれふと、海浜公園を散策したのが悪かった。さゆるとじゅんが連れ立っているところを見つけ、Maliceはふたりを尾行した。
　そして一部始終を目撃してしまったのだった。
　耐えられない。
「さゆる」
　立ち上がり木陰から姿を見せると、嘘のように頭痛は消えた。
　やはり私にはさゆるが必要、そう確信する。
「なに？」
　唇を離し、さゆるは明らかに迷惑そうな顔を向けてきた。
　たとえ嫌悪感を示そうとさゆるは美しい。
　あなたの憎しみも私は大好物。
　けれどそれが、他の人間への想いに根ざしたものだとすれば、許さない！
　さゆるを無視し、Maliceはじゅんをにらみつける。
「それと、『プロムナード』勤務のまみ子ね。非公開の本名は『姫木じゅん』」
　Maliceはにたりと笑った。本名をずばり告げられ、怯え動揺するじゅんの姿を想像している。
　しかし、じゅんはそんな様子はおくびにも出さなかった。
「ふうん、よく調べたね。で、あんた誰？」
　平然と煙草を取り出してくわえ、火を付けたのである。

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