【お花見】逢ひ見んことは命なりけり｜リアクション

【お花見】逢ひ見んことは命なりけり

　夜桜を見ながらそぞろ歩くうちに、朝衣は空腹を覚える。
　そういえば昼から何も口に入れていない。
　そこで朝衣は彼氏──住沢遥人が働くシーサイドタウンの洋食レストランに向かった。彼と会うのはホワイトデー以来だ。
　時間的にピークを過ぎたのか、店は比較的空いていた。
　窓際の席も空いているという話だったが、

「一人です。カウンターで」
　迷わずそう告げ、朝衣はアイボリー調の椅子に腰を下ろした。
　デミグラスソースの匂い、それに、焼ける肉とスパイスの香り――ナツメグかな。
　あえて声をかけぬまま、盗み見るようにして遥人の働く姿を眺める。
　さすがシェフ、忙しそうだ。火加減を見ていたかと思えば注文票を手にし、バックヤードになにか指示を飛ばしている。
　しかしやはり忙しい時間帯はすぎていたようだ。やがて彼も朝衣に気付き、口を開けずに微笑んでくれた。
　やがて注文した料理が運ばれてくる。
　ハンバーグのトマトソース、入店するなりナツメグの香りにいざなわれ、もうこれしかチョイスする気になれなかった。
「いただきます」
　遥人に向けて手を合わせて見せてからナイフを入れる。
　油がわずかに跳ねる。ふわっと湯気がたち鼻腔をくすぐる。トマトソースの綺麗な色、あふれ出すたっぷりの肉汁。
　よく吹いて口に入れたのに火傷するくらい熱かった。それでもふうふう咀嚼して、気が遠くなるほど締まった肉と、ようく炒められたタマネギのハーモニー、そしてぎっちりの滋味を楽しむ。
「とってもおいしい――」
　ため息つくようにつぶやいた。しっかり聞いたらしく遥人がうなずいている。
　気が遠くなりそうだ。空腹だっただけにたまらない。嬉しすぎて胃がジャンプしている気分だ。
　付け合わせの肉、セットのポタージュスープとサラダ、ライスも含めてあっというまに平らげてしまった。あとは食後のコーヒーを楽しむ。
「閉店は十時、ということは……上がりは十一時くらい？」
　小声で遥人に告げると、その通り、という合図みたいに遥人がちょっと、シェフ帽の位置を直した。
　近所のバーで待ってるから、そうささやいて朝衣は店を出る。
　もう疲れなんてどこかへ消え失せていた。
　バーで遥人と合流する。
「お待たせ」
　フロックコート姿の彼が姿を見せたのは、時計の針が十一時五分を指したときだった。
　少し呑んで、ほろ酔い気分で彼と街道に入った。
　もう歩いている姿は誰もいない。長い桜のトンネルを、腕を組んで歩いた。
「そうか、春から大変だ」
「うん、まさか大役を任されるとは思ってもみなかったけど……でもチャレンジだと思うことにする」
「その意気だね」
　応援するよと遥人は言った。
「じゃあ、さっそく応援をお願い」
「どんな応援？」
「明日の朝食！　遥人の部屋でね」
　その言葉の意味は明白だ。
　朝衣は遥人と見つめ合った。
　触れあう程度の軽いキス。
　うんと濃厚なキスは、彼の部屋までとっておこう。
　あの雪の夜に負けないような、甘く情熱的な夜にしたい。

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