【お花見】逢ひ見んことは命なりけり｜リアクション

【お花見】逢ひ見んことは命なりけり

　一度沸騰させて冷ましたミルクのような、丸みをもつ朝日を浴びて目が覚める。
　うつ伏せの背中にかかるシーツの感覚。
　薄もやのような眠りと、情事の甘く重い残滓が躰にこびりついている。
「……」

　朝鳥さゆるは、狭いベッドに自分ひとりしかいないことに気がついた。
　でも匂いがする。彼女と、コーヒーの香りが。
　蛹（さなぎ）が羽化するようにして身を起こす。
「起こしちゃった？」
　さゆるの肌からシーツがすべり落ち、一糸まとわぬ姿をさらすのと、姫木じゅん（キャバクラには『まみ子』という名で出ている）がふたつのコーヒーカップをもって入ってきたのは同時だった。
　じゅんも裸身だった。下着すら履いていない。
　じゅんの部屋だ。さゆるが彼女と同居するようになってしばらく経っている。
　Malice──その名の意味は「悪意、敵意、害意」──につきまとわれることを厭うあまり、さゆるは暮らしていた部屋を出ていかざるを得なかった。片篠藍人との思い出は部屋に残したままだ。
　あの部屋には今、あの女が住んでいる。
　寒気に似たものを覚える。足元を這う女郎蜘蛛を見かけたときのような。
「今日……」
　学校はどうしよう、とコーヒーの残り半分を飲み終えないままさゆるは言った。
「何言ってるの？」
　じゅんは片眉を上げた。黙って座っていれば中学生のように見える彼女だが、こういう表情は大人の女である。
「今日、土曜日じゃない」
　だったっけ、とさゆるは自信なさげにつぶやいた。過去に受けた心的外傷のせいで時間感覚が歪んでいるため、さゆるにとっては曜日の判断すらも容易ではない。
「じゅんこそ、今日は仕事じゃなかった？」
「店？　夜からよ。今日は同伴ないし」
　じゅんはコーヒーをあおるとベッドサイドから煙草をとってくわえる。高そうなライターで火を付けた。
「ま、どっちにしろ休みにしたけどね。店の子とシフト交換して」
　言いながら彼女はスマートフォンをいじっている。どうやら常連客たちからのメールやメッセンジャーをチェックしているらしい。「めんどくせぇ」と毒づきながら返信しているところからして、あまり楽しい作業ではないようだ。少し見えた客からのメールは、店外デートの誘いや甘えるようなコメントばかりだった。
「……それで」
　スマホを投げるようにして置くと、じゅんは意味深な微笑を見せた。
「今日はどうする？　このまま一日中ヤりまくる？」
　中学生くらいの容姿かつアニメ声でこんなことを言う。『まみ子』の常連客が耳にしたら卒倒してしまうかもしれない。
「それも悪くないけど……やめておくわ」
「そう」
　特に残念がることなく返事すると、
「じゃあ散歩でもする？」
　まみ子は屈伸運動をはじめた。やはり何も身につけないままで。さゆるの前ではまったく恥じる気がないようだ。
「散歩……？」
「今日は桜が満開だから、花見って感じね」
　さゆるは黙ってうなずいた。
「なら決まり！」
　まずシャワーを浴びよう。

このページにイラストを設定する