茶処・微風庵｜リアクション

茶処・微風庵

　何でもない日にちょっとした探検気分になってしまうのは、非地元民の特権だと思う。昨秋に寝子島に越して来た稲積柚春も例に漏れず。見知らぬ路地に入り込み。二本足で立つねこに手招きされ。（ＡＲスポットってやつかな？）なんて呑気なことを考えていたら後ろから誰かに肩を掴まれた。振り返ると馴染みの金髪と真剣な顔。ウォルター・B先生である。
「あのねぇ……女の子が訳の分からない路地にふらふら入ちゃ駄目でしょう。ああいうのもやばいって」
　どうやら柚春を心配して追いかけてきたらしく、胡乱気にねこを睨みつける。
「大丈夫ですよ。近ごろ流行りの技術を使ったゲームか何かの一種ですって」
「はぁ？」
「微風庵ですって。素敵なお茶処じゃないですか。いいところ見つけちゃったな。何事も経験。折角招かれてることですし、いっしょに入ってみましょうよ」
「いや、僕は……」
　拒否の言葉を遮るようにして柚春はウォルターの腕を取ると、半ば強引に暖簾をくぐる。
　ねこから店の説明を聞き、言われるがまま柚春は居心地のよい空間を想像した。

　こぉろ、こぉろ。かそけき鈴の音がする。
「嘘だろう、これがAugmented Reality（拡張現実）？」
　靄がかった頭にウォルターの声で疑問符が注ぎ込まれる。
　我に返ると、自分たちは柚春とウォルターは古代日本の神々の衣装をモチーフにしたかのような対の服を纏い、青く穏やかに波打つ海の床に浮かぶ雲のソファに腰かけていた。柚春は雲のソファの実存感に驚いた。思った以上にふかふかである。とはいえウォルターの手前、ＡＲで通しておいた方がいいだろう。
「リアルですね」
　白々しく言いながら、海の床に散らばるカラフルな立体パズルの欠片をひとつ手にとる。
　それはアクリルのようなキラキラした素材で出来ていた。
「先生、このパズル、いっしょに組み立ててみましょうよ」
「まあ、構わないけどぉ」
　ウォルターははじめこそ不本意そうに唇を尖らせていたが、途中から夢中になってそれを組み立てていった。
「うーん。この隣、そっちの赤い欠片じゃない？」
「これですか？　あ、本当！　ピッタリ」
　このパズルも柚春が想像した通りなら、完成形がどうなるかはわかっていた。
（日本列島だ）
　パズルが完成に近づくうちに、ふたりは少しずつ距離を縮めてゆく。
　こぉろ、こぉろ。鈴の音だと思っていた音は、海のさざ波が奏でる歌であった。
「こぉろ、こぉろ」
　いつしか柚春もそのメロディを口ずさんでいた。
（二人で日本を作るパズルを組み立てているなんて、まるで国生みの神話みたい）
　現実世界の柚春にとってウォルターは『運命』を否定しなかった憧れの人であった。
　しかし今この世界においては、彼は大好きなお兄ちゃんであり夫だ。何故だかそんな考えに囚われる。
「あなにやし、えをとこを（ああなんて素敵な男性でしょう）」
　頭に浮かんだ言葉を歌にのせて差し出すと、ウォルターも同じように返歌した。
「あなにやし、えをみなを（ああなんて素敵な女性だろう）」
　島と手足が不自由な蛭子が産まれた。島は淡島。蛭子は嘆きながらも流すよりほかに仕方なかった。
「そうだ、私から声を掛けてはいけないんだった。今度は先生からお願いします」
　ウォルターは頷き柚春の手を取る。
「あなにやし、えをみなを」
「あなにやし、えをとこを」
　青くさざめく海の床から次々と島が生まれ出でた。日本列島のパズルもほとんどが組み上がっている。柚春はウォルターの肩に頭を載せて、二人で創った島国を眺めた。
「ずっと仲良く過ごせるといいな。もし喧嘩することになったら、とても悲しい……」
　今はこのまま寄り添っていたい。
　こぉろ、こぉろ。
　さざ波の歌が耳朶を打つ。
　柚春は瞼を閉じ、彼の温かさを感じながら羊水に浮かぶ幼子のようにまどろみに浸ってゆく。

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