『ネズナズネ』　～或いは小さな大冒険～｜リアクション

『ネズナズネ』　～或いは小さな大冒険～

　すっかり日も落ち、景色が茜色から濃青色のグラデーションへ移り変わっていく。
　多少の迂回はしたものの、順調に寝子島高校へ辿り着き、正門から校舎へ続く坂道を見上げる。
　元より路面を把握していなければ、どこまでも果てしなく続く途方も無い山に見えるその光景に、若干の目眩を覚えた。
「さ、もう少しです。頑張りましょう」
「ファイトですヨ！」
　心情を察してか、先行する二人が代わる代わる声援を口にしながら御巫に向き直る。
　喋る度にコロコロと表情が変わる寿井知。それを何処か呆れながらも楽しそうにしている鳶色彦。
　すっかり暗くなってしまっているとはいえ、学校の敷地内をこの二人と歩いているのは不思議な感覚だった。
　まるで――。
「一緒に通学してるみたい」
　微笑み、小さく呟いた御巫の言葉は、しかし前を歩く二人には届かず、静かに消えた。

　都度、休憩を挟みながらではあったが何とか坂を登り終えた先。
　周囲に人の気配はなかったが、誰かに見つかることのないように、鉄の匂いが溢れた、まるで巨大な工場区画のように見える自転車置き場を抜け、慎重に歩を進める。
　やがて見えてきたのは、プールの周囲を取り囲む遮蔽代わりの木々の姿だった。
　近づくにつれて、両腕を回しそうとしても遥かに足りない太さを持つ幹の迫力に圧倒される。
　元の身長であれば、ちょっとした観光スポットにでもなりそうな大きさの樹木がそこかしこに生え揃っている状況に見とれていると、樹海の先から御巫を呼ぶ声がした。小走りで向かう。
　張り巡らされたフェンスの手前で、鳶色彦の表情は何処か、意外そうな感嘆を浮かべている。
「これがそう……だと思い、ますが、これは」

　張り巡らされたフェンス越しにプールを見る。
　プールと呼ぶにはあまりに大きなサイズ感に、鳩の言っていた湖という表現がしっくり来たが、それよりも目を引くのは、水面一面にうっすらと浮かぶ、虹色の膜。
　照明の灯っていないはずのプール場の中、それは淡い光を放っていた。
　幻想的な風景に今日で何度目か解らない感動を胸に抱く。
「行ってみましょう」
　鳶色彦がフェンスの合間、身体が通りそうな隙間を見つけて通り抜ける。寿井知、御巫もそれに続き、水面へと近づいた。
　プールサイドから近寄ってしゃがみ込み、覗き込む。それは僅かに揺らぎつつ、発光を続けていた。記憶の片隅にある――自分がこうなった原因である水溜りとよく似ている。
　おそらくこれが、そうなのだろう。
　この時期に入るにはあまりに気温が低いとは思うが、背に腹は変えられない。
　よし、と小さく口にして、御巫は立ち上がった。

「鳶色彦さん、寿井知さん、有難うございました」
「いえいえ、困った時はお互い様ですよ」
　鳶色彦の手を取り、感謝の念を示す。と、その横にいた寿井知の眉根がやや寄っていることに気付く。
「何だか、寂しいですネ……」目にはうっすらと涙が浮かんでいるようで、プールの光が反射して煌めいている。
「今生の別れでもあるまいに」
　鳶色彦が苦笑する。その様子に、御巫もつられて笑ってしまった。
「本当に、ありがとうございました。今度お礼、させてくださいね」
　だらん、と下がっていた寿井知の手もしっかりと握り、軽く上下に降る。
　寿井知は空いていた手を添え「チーズ、一緒に食べましょウ」と笑顔を見せた。

　プールサイドの側端に立ち、水面を背にする。
　しっかりと見守ってくれている二人を交互に見てから――御巫は、ゆっくりと、重心を後ろへ傾けた。

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