弁天猫の有難迷惑なご利益｜リアクション

弁天猫の有難迷惑なご利益

　　　３

　神野美野梨は寝子島駅前の恵比寿猫のスタンプを押し、そのまま表参道商店街へ向かった。
　住んでいるのは猫鳴館だが、要領よく回るのではなく、スタンプの一番上から埋めていこうと考えたのだ。
　時間はかかるが、たまにはそういう無駄も楽しいだろうと美野梨は思った。
「あら、恵御納さん、こんにちは」
　商店街の入り口の端で、しゃがみ込んでいる二人に美野梨は気が付いた。片方は夏朝だ。美野梨と夏朝は、猫好きコミュニティ「ねこみゅ」の仲間なのだ。
　こちらを見上げる夏朝の顔に、美野梨は息を飲む。
「ああ、神野さん、ちょうどよかった」
　夏朝はいたって真顔――ちょっと眠そうな目をしているが――だ。美野梨は、夏朝の顔について質問しそびれた。
「どうかしたの？――あら、東門くん」
　もう一人の少年に美野梨は覚えがあった。
「覚えているかしら。この前、ソフィさんの休日に付き合ったりしたのだけど」
　東門巧は、涙でぐしゃぐしゃになった顔で頷いた。
「……ど、どうしたの？」
「ここに来たら、悲しい音楽が聴こえてきて、悲しくて悲しくてしょうがなくなったんだって」
「音楽……？」
　商店街の奥を見たのは、弁天猫が琵琶を持っていることを思い出したからだ。
「さっきは薄着で走っていく人もいたし、奥の方からは歌声も聴こえるし、実は僕もね、さっきから音楽が聴こえるんだ」
「えっ？」
　そういえば、美野梨の耳にも何か聴こえてくる。どこか覚えのある――昔の海外ドラマのオープニングテーマのような、琵琶の音。
「まあ、特に影響はないんだけど。ちょっと眠いぐらいで」
「猫みたいね」
「そういえば、日向ぼっこしたいかも」
と、夏朝は笑った。
「君、悲しいなら取り敢えず、猫さん触ってみる？　神野さん、猫さん呼べる？――神野さん？」
「あっ、ごめんなさい」
　夏朝は笑っているが、多分これは笑い事ではない、と美野梨は思った。ティッシュを小さく千切って丸め、耳に詰めると夏朝の声も聞き取りづらくなった。
「そうね。呼んでみるわ」
　屋根の上で丸まる猫を見つけ、美野梨は精神集中すると「にゃあ」と呼びかけた。日向ぼっこしていた猫の片耳がぴんと立ち、薄目を開けるとゆっくり周囲を見回す。美野梨は再度、「にゃあ」と声をかける。
　猫はゆるゆると起き上がり、大きな欠伸を一つ、それからうーんと伸びをしてから降りてきた。
「はい、どうぞ。――恵御納さん？」
　近づいてきた猫は美野梨の要請に応えてすんなり抱っこされてくれたが、夏朝はその猫がいた場所をぼーっと見つめている。
「どうかしたの？」
　声をかけられた夏朝は、はっとなって振り返った。
「ごめん、あの場所、寝心地良さそうだなあ、と思って」
　変なこと言ってごめんね、と夏朝は謝ったが、さもあらん、と美野梨は思った。
　なぜなら、夏朝の顔には猫のような立派なヒゲが生えていたからだ。
　夏朝自身は気付いていないようで、指摘すべきか美野梨は迷っていた。

このページにイラストを設定する