私立探偵の悩みごと相談所｜リアクション

私立探偵の悩みごと相談所

　羽生碧南は部活帰りだ。ついつい練習に熱が入ってしまい、すっかり遅くなってしまった。とうに夕食の時間も過ぎて、女子高生がひとりで帰るにはちょっと遅い時間に差し掛かっていた。
「うーん……」

　しかしながら、生理的欲求に逆らうことは誰にも難しい。
「おなかすいたなあ……いやでも、帰ったら夕ごはんはあるわけで……でも……」
　ふと心に浮かんだその誘惑を、碧南は振り払うことができなかった。決して彼女が意志薄弱だったわけではない。強いて言うならば、通りがかったラーメン屋から漂ってくるスープの香りが魅力的すぎるのがいけないのである。

「あれ？」
　衝動的にラーメン屋の暖簾をくぐろうとした時、視界の端に見覚えのある顔を見た気がして立ち止まった。
　天利二十だ。
　普段なら空腹とラーメンの香りに負けてしまうところかもしれないが、この日は違った。

「探偵のおじさん、何しけた顔してるんですか？」

　気付いたら近寄って声をかけている。それほどに、天利の表情は曇っていた。確かにいつもにこやかな顔を作るような男ではないが、明らかな苦悩を表に見せて歩くような男でもない。
「……よお、学生さん」
　天利はかろうじて挨拶をしたが、やはりいつもの軽口は出てこない。いつもなら女子高生が出歩く時間じゃない、などと言い出すところなのに。
「あの……」
　特に気の利いた言葉は出てこない。そもそも碧南と天利はたまに街中でばったり出くわす程度の関係で、特に親しいわけではない。何を言えばいいか迷っているうちに、再びラーメンの香りが鼻先をくすぐった。

「ラーメン、食べていきませんか」

☆

「あーもう……この寒いのに残業とか勘弁してよ……」
　三折部朝衣は呟いた。
　なんにしたって役所勤務は暇じゃない。部署にもよるが、下手な民間起業よりブラックだなどと揶揄されるのも無根拠ではないのだ。
「いやそこまでは言わない。言わないけどさ」
　朝衣は軽く伸びをしながら誰にでもない言い訳を呟く。
「要するに、夕食くらいの時間には仕事が終わっていて欲しい、って話よね」
　それを愚痴ったところで何かが変わるわけではない。わけではないのだが黙っているのもストレスが溜まる。
「しかもおなかがすいた、ときた」
　暗くなるまで仕事をした身体が夕食という正当な報酬を要求している。朝衣としてもそれに応えることはやぶさかではない。
「ええ……っと」
　どうにも家までもちそうにない。見回すと視界にラーメン屋が飛び込んできたではないか。
「ええい、入っちゃおか」
　少し逡巡するふりをして、朝衣はラーメン屋の暖簾をくぐった。

「あら、お久しぶり」

　店内を見渡すと、どこかで見知った顔がいた。天利だ。店の隅のテーブルに座っている。

　かわいい女子高生と一緒に。

「えー……っと」
　一瞬、反射的に声を掛けてしまったことを反省する。４０男と制服姿の女子高生との組み合わせは看過できるものではない。勤務は終わったとはいえ公務員、もし何らかのいかがわしい活動が行われているなら、然るべき所に通報しなくては。
　もうちょっと様子を見るべきだっただろうか、などと悩んでいると、天利からも朝衣に声を掛けてきた。

「よお……役所の姉ちゃん」

　その表情になんとなく毒気を抜かれた朝衣は、そのまま天利のつくテーブルに座った。ラーメンを注文、醤油とチャーハンのセット。
　そこで朝衣はハタと気が付いた。
「どこかで見たような組み合わせね」
　女子高生は当然、羽生碧南である。以前にも不思議なラーメン屋でこの３人は遭遇している。
　天利は応えた。

「そうだな……まあこれも何かの縁だ。ちょっと俺の話を聞いてくれよ」

　こうして、ラーメンを囲んで天利の悩みごと相談が始まったのである。

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