悪魔のささやき｜リアクション

悪魔のささやき

●誘惑と懐柔

　とある日曜日。
　水上桜は桜花寮の自室で目を覚ました。時計を見れば普段学校に行くのと変わらない時間だった。

（今日は確か日曜日……でも特にやることもないしなぁ……）

　どうしようかと思いながら、とりあえず体を起こしてのんびりと着替える。ぼんやりこれからのことを考えながら朝食を軽く済ませる。

（そうだ、寝子島スポーツセンターに行こう）

　時間つぶしに思いついたのは温水プールでの自主練習だった。目的が決まり、さっそく必要なものを整えて家を出た。寮から少し歩くとその建物が見えてくる。入り口をくぐり、更衣室に入ると水着に着替える。
　プールサイドへやってくると、家族や友人グループで泳いでいる光景が見える。

（やっぱり日曜日だからかしら）

　準備運動をしながらプールにどのくらい人がいるか確認する。そのなかで個人練習できそうな場所を探して、ゆっくり水の中に入る。
　桜はあまり得意ではないバタフライと背泳ぎを中心に、自分で決めたメニューを着実にこなす。フォームや体の使い方を見直しながら泳ぎ続けた。ふと時計をみると午後４時過ぎ。午前中から練習を始めて、この時間までずっと泳いでいたようだ。

（……そろそろ切り上げよう）

　いくら集中していたとはいえ、さすがに疲れたのでプールから上がった。そのままシャワーを浴びて更衣室へ向かう。そこで着替えをしていると目の前に突然、ハムスターっぽい生き物が現れた。しかも悪魔の角や尻尾が生えている。
　桜が驚いていると悪魔が隣のロッカーを指差しながら囁いた。

「ねぇねぇ、隣のロッカー見て。鍵かけないままほったらかしだよ」

　視線をそちらに向けると、確かに少しロッカーのドアが開いている。

「中には現金２万円の入った財布があるんだ。あとで買い物するつもりみたいだね」

　２万円。なかなかの大金である。欲しいものの１つや２つ買えるだろう。

「持ち主はあと１時間はプールから戻ってこないから、今のうちに盗んじゃえ」

　悪魔は桜を唆すような発言を続けた。その表情はいたずら好きの子供のようだった。桜はその顔をみながら心の中で叫んだ。

（また……またフツウかぁっ！！！）

　口に出して怒鳴りたくなるのをどうにか抑えた。とにかくここから出ようと着替えを急いだ。

「いいの？　２万円だよ？」

　その間も悪魔は言葉を続ける。桜は私服に着替え終えるとすぐに更衣室を後にした。
　街へ出ても悪魔は付いてくる。通りすがりの人を見ては、あの人なら鞄を奪えるとか言い出すし、コンビニで適当に買い物していても、こっそり鞄に入れればバレないなどと唆す。そんな強烈な犯罪への誘惑に耐えながら、歩き続ける。

（こうなったら……）

　桜はなおも囁きかける悪魔に持っていたスティック菓子・パッキーを咥えさせて黙らせる。悪魔はハムスターらしく、ポリポリと味わっている。どうやら気に入ったようで、さらに催促してきた。１本、また１本と食べている様子を見てると、どことなく可愛く感じてくる。
　桜が小動物を可愛がるように接するうちに、悪魔もすっかり懐柔されていた。他の菓子も堪能すると、悪魔はどこかへ消えていった。

「ふぅ……」

　桜は難を逃れたことに安堵し、小さくため息をついた。

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