夜歩き話　鏡歩き編｜リアクション

夜歩き話　鏡歩き編

　桜花寮の自室にあるベッドの上で恵御納夏朝は目を覚ます。
　いや、正確にいえば彼女は夏朝ではない。夏朝の内に住まうもう一人の夏朝である夏夜だ。

「んっ……」

　ベッドの上で身を起こした夏夜は、伸びをした後に夜の空気を吸うために窓を開けた。
　するとそこにはいつものように穏やかな夜が広がっている……かと思えば、いつもとは違うものも広がっていた。

「あれは……地面に星空……？　不思議な水鏡になっている、のかな？」

　それは何とも不思議な光景だ。上と下。夜空が二つ同時に存在するなんて。
　暫しの間、窓から眺めていた夏夜だが、窓を閉めると外に出る為の身支度をする。

「見つからないようにしないといけないね」

　そう呟いて誰かに見つからないようにそっと桜花寮を忍び出る夏夜。
　外に出た後も、万が一先生達に見つかってはまずいと忍びながら、シーサイドタウンにて広がっている水鏡の道を歩く。

「ふむ。これはただ、夜空が映し出されているだけではないのか？」

　夏夜が水鏡を覗いてみれば、そこには満天の星空に天の川が見える。
　星々を注意深く観察してみれば、その輝きにも違いを見る事が出来た。赤かったり青かったりとこちらでは見る事のない星の輝きだ。

「もしかして、異世界の光景が映っているのだろうか」

　そうだとするならば、もしかして向こうにも同じようにこちらの夜空が映ったりしているのだろうかとそんな事を考えてしまう夏夜。
　何か他のも映り込むものはないかなと夏夜が覗き込んでいると、不意に真っ白な猫が見えた。それもただの猫ではない。二足歩行の猫なのだ。

「猫……」

　ボソッと夏夜が呟くと、そのタイミングで向こうも夏夜に気付いたようで振りむいた。
　猫の口は動いてはいるけど何を言っているのかは聞こえない。どうやらこの水鏡を通しての会話は出来ないようだ。となると、向こうが振り向いたのも夏夜の呟きが聞こえたのではなくたまたまだったという事だろう。

　猫は恐らくにゃあにゃあと鳴いて肉球のついた前足で水鏡をてしてしと叩いている。
　夏夜もそれに合わせて水鏡をてしてしと叩いて返してから、手帳に文字を書いてから見せてみるとどうやら文字を理解する事は出来るようで猫が水鏡越しにしきりに頷いているのが見える。

　それからというもの夏夜はこちらの世界の事を色々と猫へと話していた。
　向こうは文字を書く事は出来ない為、夏夜が話して猫が聞くというスタンスだったがそれでも楽しい一時だったのは間違いない。
　だけど、始まりがあれば終わりもまたある。そろそろ朝日が見えてくる時間だ。きっとこれは一夜の不思議だと夏夜は何となく感じていた。だから、もう終わりの時なのだ。

　それを猫に伝えたところ、猫は悲しそうにしょげてしまう。
　けれど、直ぐに気を取り直したかと思えば、元気いっぱいに夏夜に身振り手振りで何かを伝えようとしていた。

「ありがとう、さようなら、またね……かな。うん、そうだね」

　そう。一度会った不思議ならば二度目がないとは限らない。いや、きっとあるだろうと夏夜は思う。
　だから、夏夜の返事もまた同じように真似をした身振り手振りだ。

　そして、水鏡が消え失せて、ただの水に濡れた道に戻るまで夏夜はその場で見送る。
　一度、朝焼けに染まっていく空を見上げた後で向きを変えて自室へと戻り始める。

（この事は交換日記に記さないとね。あの猫に次に会えるのは、僕か夏朝かわからないから）

　微かな笑みと共にそう心の中で呟いた言葉が、この一時が一体どのようなものであったのかを現していた。

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