遊月会の誘い｜リアクション

遊月会の誘い

　深倉理紗子は寝子島総合病院の勤務医だ。
　そんな理紗子は去年の秋に度重なる過労で倒れて、一カ月の療養を経て職場復帰したのだが。復帰前と変わらない多忙な日々を過ごしている。
　ある意味当然の話ではある。それ程簡単に状況が変わるならば、倒れる前に変わっているというものだ。

　だが、そんな状況でも――いや、そんな状況だからこそだろうか？　時に唐突に休日が訪れたりする事があったりする。
　日々を仕事に追われて過ごす理紗子からすればそんな唐突の休日はまるでぽっかりと穴が開いたような錯覚さえ覚えてしまうものだ。

「游月会、かぁ」

　ポツリと呟きを洩らす理紗子。
　休日をどう過ごそうか悩んでいた理紗子に、まるで神の啓示であるかのように現れたのは一枚のチラシ。それは九夜山で行われているイベントのものだ。
　展望台の方へと行くつもりにはなれないが、温泉宿の方には心惹かれるものを感じていた。
　今回の休日は土日と二日間ある。寝子島内に出かけるならば丁度良い距離である事だし、理紗子は泊りがけで月見と洒落込む事を決意するのであった。

「さて、と。どうしようかな……？」

　温泉宿にチェックインし、泊まる部屋へと入ったのは良いのだがこれからどうするか悩む事となった理紗子。
　食事の時間には少々早く、そこまで温泉が好きというわけではない為、今から温泉に浸かる気にもなれないでいる。ワーカーホリックな理紗子はこういう時、どう時間を潰せば良いのかイマイチ考えが浮かばないでいる。
　仕方なく部屋の窓際に備え付けられた椅子に座り、ぼんやりと窓の外の景色を眺め始める。窓の外には夏が過ぎ去り秋色に染まりつつある九夜山が良く見えていた。

　ただただ、何を見るわけでもなく揺蕩うように外を見つめ続ける。
　昼過ぎの明るさから寂しさを覚える夕暮れに空が染まり、次第に全ての光を連れて陽が沈んでいき暗闇の夜が訪れる。とはいえ、今日は月が良く映える夜である為、思いの外明るいようだが。
　そんなほんのりとした灯りを齎す月を見ていると良いところに食事が運ばれて来た。時間帯として丁度月見に良い時であったので、理紗子はその食事を食べながら月見を続ける。

　月はただそこにある。月はただ穏やかに輝いている。そんな月を眺めているだけで、理紗子はどこか心が落ち着くよう気がした。

（人は……あまりいないみたいね。少し遅くなってしまったけど、それが逆に良かったかな）

　タオルで身体を隠した理紗子が露天風呂へと入り中を見渡してみれば人の姿はまばらだ。
　月見をしながらゆっくりと食事を摂っていたせいでやや遅めの時間帯となってしまったのだが、その為に人の姿が少ないのだろう。ゆっくりとしたかった理紗子からすればそれは有り難い事と言えた。

（温泉に入るなんて何年振りだろう）

　お湯を身体にかけてからゆっくりとつま先から温泉の中へと身を浸けていく。
　少しだけ熱く感じるが、けしてそれは拒絶するようなものではない。寧ろ、疲れ切った理紗子の身体を優しく受け止めるようなものでさえある。

　ワンルームマンションの小さなバスタブと違い、手足を伸ばしきっても尚余裕のある広さには解放感を感じざるを得ない。
　月明かりに照らされ遠くに見える月を眺める。暖かなお湯に包まれている事もあってか、理紗子はその内何もかもどうでもよくなった。
　暫くの間、その心地良さに浸る理紗子の姿がそこにはあった。

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