あの日のあとで５｜リアクション

あの日のあとで５

　寝子島全島水着デーから、５日後のお昼休み。
　御巫時子は、意を決して、実験室の前に立っていた。
　胸に手を当てれば、どきどきと心臓が跳ね回っているのが感じ取れる。

（あの日のことを思い出すと、顔から火が出そうです……）
　露わになった胸を五十嵐尚輝先生に見られてしまう……等々、ハプニングの連続だったあの日。
　あれから時子は、５日もの間、五十嵐先生とまともに顔を合わせられていない。
　あの日、五十嵐先生とは、水着を買ってすぐに別れた。
　目が合うのさえ恥ずかしかったし、何を言えばいいのかだって、わからなかったから。
　化学の授業は、五十嵐先生の声を聞いて、黒板を写してと真面目に受けてこそいたが、
（ずっと俯いてましたから、もう長いこと、顔をまともに見ていない気がします……）
　といった具合なのだった。
　そんなこんなで５日が経ち、時子の胸の内では今、２つの相反する感情がせめぎ合っている。
　五十嵐先生と話がしたいという気持ちと、会うのが恥ずかしいという気持ち。
　あの日の出来事を思い出しては赤面してしまうけれど、
（でも、やっぱり会いたいです）
　と、時子は、手作りのお弁当（これを用意してくるのも５日ぶりだ）を持つ手にきゅっと力を込めた。
　扉を開けるか、諦めて引き返すか。
　暫し悩んだあとで、時子は、大きく深呼吸をした。
　そうして、実験室の扉に、手をかける。
　ガラリ、と音がして、中にいた五十嵐先生が時子の姿を見留め――微かに、顔を俯かせた。
「尚輝先生……あの……」
「……はい。その……何でしょうか」
　おずおずと室内に入って名を零せば、あちらからも、ぎこちなく声が返る。
　時子は、意を決して音を紡いだ。
「――避けてるつもりではなかったんです。ただ、顔を合わせるのが恥ずかしかったので……」
「……そう、でしたか。もしかすると、すっかり嫌われてしまったのかもと、思っていました」
「そんな……そんなこと、ありません。絶対に、あり得ません……！」
　がばと顔を上げて、時子は五十嵐先生の目を真っ直ぐに見据える。
　五十嵐先生も、少しバツの悪そうな顔こそしていたけれど、時子と確かに目を合わせた。
「色んな偶然が重なった結果とはいえ、先生に謝りたいと思ってたんです」
「謝る？　御巫さんが？」
「はい。このまま恥ずかしがってたら、先生とお話しづらくなったり、お弁当も渡しにくくなりそうで……」
　それは、時子にとって耐え難いことだ。
　考えただけで、胸がぎゅっと、締め付けられるような心地がした。
「先生と一緒の時間は、私にとって、大切で安らげる幸せの時間ですから」
　大人な先生は気にされてないかもしれませんけど……と付け足せば、
「……困りましたね」
　と、五十嵐先生は、些か情けなく眉を下げて、ぽそりと呟いた。
「僕の方こそ、すみません。その……すっかり、動揺してしまったもので」
「そんな……私の方こそ、すみませんでした。私がデパートにお誘いしたのに、困らせてしまって」
「いや、あれは僕が、」
「いえ、私が……、」
　そこまで言い合って――２人は、どちらからともなく、小さく噴き出した。
「あの、先生」
「……はい、何でしょう」
「お弁当、作ってきたんです。……一緒に食べませんか？」
「ありがとうございます。それじゃあ、コーヒーを淹れましょうか」

「――夏休みの予定は、もう決まってるんでしょうか？」
　青菜のおにぎりを頬張る五十嵐先生へと、時子は静かに尋ねる。
　五十嵐先生ももう、いつもの調子で、
「予定、というか。いつも通り、大体学校にいるような気がします」
　と、おにぎりを食べる手を止めて、応じた。
　その言葉に、時子は、ふわりと微笑む。
「だったら、今年も時々学校に会いに来たいですね」
　２人の間には、常と変わらない穏やかな空気が流れていた。

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