たとえ今日が、終焉（おわ）りゆく明日の始まりだとしても｜リアクション

たとえ今日が、終焉（おわ）りゆく明日の始まりだとしても

「髪、触ってもいいかしら？」
「許す」
　うなじには極力触れないよう注意しつつ、木野星太郎は九鬼姫の髪束を、ひと掬い取って根元まで確認する。
「……んー、ソコソコいい感じねぇ？」
　前の薬剤より髪にダメージは行ってないわね、と星太郎はうなずいた。
「でもまあ、ダメージ無い分抜けが甘い感じ……ソコはどっち取るかよねぇ？　アタシは髪にダメージ無い方取るけど……はい、終わり！」
　ぱっと両手を放すと、九鬼姫は脇息（状のクッション）に肩肘をついた。
「……すまぬな」
「あらめずらしい、しおらしいこと言ってくれちゃって。アンタらしくもない」
「わらわとて偶（たま）には、そういう気になるときもあるわえ」
「もしかしてやっぱり、髪のこと気にしてる？」
　九鬼姫はこたえない。構わずに星太郎は続ける。
「……たしかに、白色気味ではあるわよねぇん。でも、そんな事アタシは気にしないわ。この職業してると、中学生から若白髪って子もいるんですもの。ちょっとやそっとでは驚かないわぁん」
「そうかえ。ま、気休めにはなるわ」
　と言うと二杯目を干し、当然のように「いただきます」とも言わずに（※キャバ嬢の飲み代は客の負担になる）、九鬼姫はウイスキーを自分のグラスに注いだ。
「氷は？」
「いらん」
　ダブルくらいの量だ。あおるようにして呑む。あまりいい飲み方ではない。
　でも星太郎はたしなめたりしなかった。彼女の許容酒量ならまだ大丈夫だとわかっていたからでもある。
「のう、星太郎」
　九鬼姫はグラスを置いた。
「なぁに？」
「わらわが本当は、ときをこえてこの世に来た姫君なぞではなく、ただ虚言を弄す出奔者……家出娘とかいうのじゃったとしたら、どうする？」
　酒量のわりに、九鬼姫のまなざしはすっきりとして迷いがなかった。
　だから星太郎も、笑いに紛れさせたりせず正直に答えた。
「どうもしないわ。アタシは、九鬼姫ちゃんの好きなほうに合わせるだけ」
「じゃが、わらわの頭のほうが、その虚言に呑み込まれつつあるとしたら……？　もう、ついてきた嘘と、本当との区別がつかんようになってきたとしたら、どうじゃ？」
　九鬼姫の右の目から、ひとすじの涙がしたたり落ちていた。
「思いだしたくないまことの過去が、このところはもう、ほんに思いだせんようになってきおったわ……」
「だったらアタシは」
　やさしく星太郎は告げたのである。
「あなたを、その素敵な嘘ごと抱きしめてあげるだけ♪」
　もうじき時間ね、と言って星太郎はレース地のハンカチを九鬼姫に渡した。
「お店、あと一時間くらいでカンバンよね。どう？　これまで九鬼姫ちゃん受けてくれたことなかったけど、たまにはアタシとアフターに行かない？　朝までやってるバー、知ってるんだけど」
「……うん」
　九鬼姫はハンカチを受け取ると、右目を隠すようにしながら立ち上がった。
「待ってて」
「だめよ」
　と星太郎は人差し指を振った。
「もっと姫君っぽく」
「……そこで大人しう待っておれ」
「結構」
　
　一時間後、私服に着替えた九鬼姫が、店の裏口で星太郎を待っていた。

このページにイラストを設定する