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夏の午後、白い陽射し。木天蓼大学構内のカフェテリア。
北風 貴子はため息をつく。
なかば押しつけられるようにして持たされたパンフレット、二色刷の表紙に躍る文字はふたつ。
『ロンドン』
『大学推薦留学生』
「……」
ため息をつく。
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蝉の声もなぜだか、病院のこの一角だけは避けているような気がする。
日に日に衰えていく兄の手を取り、アルチュール・ダンボーこと
香川 道太郎は、唐突に途絶えた会話のつづきを探すかのように空を見上げる。
――兄さんの手は、ずいぶんと軽くなった。
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歳月を経た書物の匂い。珈琲の匂い。
涼しくて閑かで、外とはまるで別世界だ。
古書店を兼ねているという、一風変わった喫茶店。向かい合って
今道 芽衣子と
五十嵐 尚輝は座っている。
「ゴメンネ、付き合ってもらって。一度ここ、入ってみたかったから」
「いえ……今日は特に用もありませんでしたから……」
芽衣子の視線は尚輝をとらえているが、尚輝が見ているのはもっぱら自分の膝だ。
テーブルに置かれているのはコーヒーカップとソーサー、それに不動産情報誌。
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銀にちかい白、かつては黒のなかに混じっていたものが、その割合を逆転してから久しい。いつか白だけになるのだろうか。
食器棚のガラス戸に映った我が髪に、ふとそんなことを考えたりもする。
ぴしりとアイロンがけされたシャツ。まっすぐに結わえた蝶ネクタイ。黒いフォーマルベスト。細身のマスターは今日も隙ひとつない姿でカウンターに立つ。
窓のブラインド越しに西日が射し込んでいる。こんな早い時間帯に店を開けるのはいつ以来だろうか。
客はひとりきりだ。
カウンター席、黒檀のスツールに座り、組んでテーブルに置いた両腕に、突っ伏すようにあごを載せている。
抜けるように白い肌、綺麗に切りそろえたつやのある黒髪、顔立ちは年齢より幼い。
九鬼姫(くきひめ)と名乗る女性だ。職業はいわゆるキャバ嬢ということになる。
彼女は、薄口のモヒートにほとんど口を付けていない。
まだ開店準備もはじめていない時間帯に、ふらりと九鬼姫はこのバーを訪れた。ずっと無言だったが、マスターは意を察して店に入れている。
注文だけしたけれどそれが最後で、以来店内でも九鬼姫は沈黙を通した。マスターも、あえて話しかけたりしない。
彼女は、傷つくことの多い仕事をしている。抱えている事情も複雑だ。黙っていられるだけの時間が、必要なこともあるのだ。
やがて、壁のアンティーク時計を見上げてマスターは言った。
「……そろそろ、出勤時間じゃないかい」
返事はない。
「なにか店で、嫌なことでもあった?」
九鬼姫は黙って首を振る。
少しためらったが、コミュニケーションを取る意思だけはあると思って、マスターはさらに訊いた。
「病院の結果が……良くなかった?」
九鬼姫はまた首を振ったが、今度はそれほど、大きな動きではなかった。
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光の三原色RGBの、GとBとを均等に混ぜたような青空。
炎天下の屋外だけど、この場所だけは例外だと思う。
高台で、海を一望できて、いい風が吹いていて、ベンチとそしてジュースの自動販売機がある。ベンチには藤棚の日よけまである。
酷暑を逃れえるとまでは言わないものの、からっと乾いていて快適なのは間違いない。自販機のなかのラインナップに、島でたぶんここ限定販売の、チェリーコーラがあるのだからなおさらだ。
「このケミカルな味はときどきほしくなるんだよねえ。それにこの場所がまた、いいんだよねえ」
SNSで『いいね!』を押すときのような気軽な口調で、
鷹取 洋二は冷え冷えのコーラ缶を手にした。もう片方の手は腰、まぶしそうな目で海を眺めている。
「知る人ぞ知るロケーションって感じでねえ。カレンダーで使われる写真のような……」
なにかメロディでも浮かんだのか、洋二はふんふんとハミングをはじめた。けれど数秒もせぬうちに中断して、
「どうしたんだい、野々くん?」
かたわらの
野々 ののこに呼びかける。
「え?」
「ボーっとして」
「私? いつもボーっとしてますよ?」
ははは、とののこは笑い、舶来もの感にあふれたチェリーコーラの缶をかたむける。
「今日は誘ってくれてありがとう……でも本当は、他に呼びたい人がいたんじゃないのかい?」
洋二の髪が風にあおられ、海産物のようにゆらゆらと揺れた。
◆ ◆ ◆
あのね、と切り出した口調がすでに、苛立ちでピリピリ震えている。
「……あたしこの店で、何度も予約購入してきたんですけど?」
語尾が跳ね上がっていた。
「そうですね」
対応する声のほうはフラットだ。まるでSF映画のアンドロイドのように。
「店長だったらハンドルネームでパスなんですけど?」
「『氏名』というのは一般的に本名のことです」
限りなく無表情にちかい顔で
三佐倉 千絵は返した。
ここはゲームショップ『クラン=G』、あるトレーディングカードゲームのブースターパック、その予約販売名簿を前にして、千絵と常連客の少女
『紅(くれない)』(ハンドルネーム)がにらみあっている。
……いや、にらんでいるのは紅だけだ。千絵は眼鏡の向こうから、凍土のような視線を向けている。
予約簿は分厚いノートに手書きする方式、住所氏名電話番号を書きこむ覧を前にして、小さな攻防が勃発しているのだった。
「ゼッタイ、あんた私のこと嫌ってるよね……」
ブツブツ言いながら紅はボールペンを取った。
そんな二人のやりとりを、やはり常連客の
野菜原 ユウがほほえましく見守っている。
◆ ◆ ◆
「おはよーございまーす」
上機嫌で、しかしいささか鼻で笑うような口調とともに、
紗央莉(さおり)は『プロムナード』の正面扉より入ってきた。
常連客の腕に腕を絡めている。いわゆる同伴出勤というやつだ。
「おはようございます」
すでに店内入りしている
泰葉(やすは)は、とりたてて感慨もなく短く返す。
常連客を席に案内すると、紗央梨はバックヤードのドアをわざと音を立てて開けた。
「泰葉」
「なに?」
途中までしていた作業を止めて泰葉は振り返る。
「今月も指名絶好調でね、このままだと私、今月もナンバーワンになりそうよ」
「そう。それはおめでとう」
つかつかと泰葉に歩み寄ると、胸ぐらをつかむような勢いで紗央梨は告げる。
「……悔しくないの?」
「別に」
「悔しがったらどうよ!」
紗央莉の声に怒気がこもった。
「ずっとここのナンバーワンだったんでしょ!? そのプライドが粉々にされて、ちょっとは悔しがったらどうよ!」
すると泰葉は穏やかに、笑みすらたたえて言ったのだった。
「何ヶ月か前だったら、きっと悔しがったと思う」
でも今はそうじゃないから――そう締めくくると、着替えのために更衣室へと向かった。
今夜の『プロムナード』はすべての従業員が浴衣姿で接待するという、スペシャルデー『浴衣ナイト』だ。
◆ ◆ ◆
鉄パイプで腹部をフルスイングで撲たれたような衝撃だった。
反射的に後方に飛び衝撃をやわらげていなければ今頃は、火にかけたフライパンみたいなアスファルトの上で、死にかけた蝉のように悶えていただろう。
――っても、地べたに這いつくばる羽目になっている時点で大差はねえか。
「てめぇのこと、知ってるぞ」
顔を上げて
詠 寛美は言った。
「ドクター香川とかいうのに雇われてたヤツだろ」
黒覆面の女性は答えない。忍者みたいなマスクの間から、青い目で冷ややかに見おろしているだけだ。
出し抜けにあらわれた
ナターシャ・カンディンスキーは、鞭のようにしなる脚で寛美に蹴りを放ったのだ。
「わかってるぜ」
腹部を押さえながら立ち上がると寛美は顔をしかめた。肋骨が折れたのかもしれない。鋭い痛みを覚えている。
「てめぇ今度は、俺の親父に雇われやがったな」
口の中を切ったのだろうか。ぺっと吐いた唾は錆びた鉄の味がした。
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時間軸もばらばら、場所もまちまち、夏の一日。
あなたと彼ないし彼女との、『今日』が紡がれる。
マスターの桂木京介です。よろしくお願いします。
シナリオ概要
個人的な企画です。本作はNPCとの交流シナリオ(『仲良くなりたい』のような)の桂木京介版という位置づけとなります。
※ですが『仲良くなりたい』のように公式NPCからの「ともだち設定」を申請(変更)したりはできません。ご了承ください。
私のシナリオで書いてきた未登録NPC(『クラン=G』や『プロムナード』、連作『FEAR THE FORCE』で出てきたようなNPC)、あるいは、私が描くことの多い公式NPCが、あなたと楽しくお話ししたり、勇気づけられたりケンカしたりデートしたりして、なんらかの転機を迎えることになるでしょう。
転機はもちろん、あなたにも訪れるかもしれません。
記念日があるとすればそれは今日! 夏の一日を、普段より長めに書かせていただきたく思います。
NPCについて
桂木京介のシナリオに初登場した未登録NPCであれば、アクションに書いて下されば誰でも必ず登場します。
(公式NPCについては、本シナリオガイドに登場したNPCしか登場できません。すみません)
シナリオガイドでは何人かのキャラクターに状況を用意していますが、このシチュエーションに続ける(あるいは参加する)必要はありません。
まったく違う日に、まったく違う場所で会ったり話したりするという展開も大いに歓迎です。
たとえば、『夏休みなのにたまたま登校したら野々ののこがいた、意気投合して一緒に駄菓子屋に遊びに行った』というお話でも、たっぷり書かせていただきます。
可能であれば、そのNPCとはどういう関係なのか(初対面、親しい友達、ライバル同士、恋人など。参考シナリオがある場合はページ数まで)を書き入れて頂けると大変助かります。
また、必ずご希望通りの展開になるとは限りません。ご了承下さい。
もちろん、あなたが私のシナリオに入ったことがないかたであっても心から歓迎いたします。
ここでNPCらと知り合うもいいと思いますし、公式NPCの桂木風の描写をたしかめてみるのも手かもしれません。楽しい、あるいは心に残る話にできるよう努力は惜しみませんよー。
それでは、あなたのご参加を楽しみにお待ちしております。
次はリアクションで会いましょう。
桂木京介でした。