誰そ彼時の出会い｜リアクション

誰そ彼時の出会い

　寝子島高校の第一グラウンドが西日で茜色に染まる。走り込みを行なっていた数人の陸上部員が軽く流し始めた。マネージャーからタオルを受け取ると汗を拭きながら部室に戻っていく。
　神野美野梨は横目で見ながら西門に向かう。前方には三人の女子がいて新しく開店したカフェの話で盛り上がっていた。聞くとは無しにメニューが耳に入ってきた。
　三人は西門を抜けて左手に曲がる。少し間隔を空けた美野梨が同じ道筋を辿り、足を止めた。
　講堂の裏手に当たる位置に黒い人物がいた。青年のような輪郭をした影で横を向いて立っている。先行する三人は無視する形で前を通り過ぎた。
「他の人には見えていないのかしら？」
　眼鏡の奥の目に理知的な光が宿る。スマートフォンを素早く手にした。影の撮影後、画像を確認すると映っていなかった。
　美野梨は影との距離を詰める。だらりと下げた手を掴もうとした。
「無理みたいね」
　何の抵抗も無く擦り抜けた。横を向いていた影がゆっくりと回る。
　美野梨は顎先に手を当てた姿で微かな笑みを見せた。
「こんにちは……聞こえるかしら？」
　影は黙って頷いた。
「聞こえるようね。あなたは」
　質問の途中で口を噤んだ。美野梨はスマートフォンを弄り始めた。その横を二人組の陽気な男子が通り過ぎていく。声が遠のいたところで顔を上げた。
　美野梨は影に向かって言った。
「あなたの姿は誰にでも見える訳ではないようね」
　影は頭を傾げた。自覚はないようだった。
「何かしたいことはある？」
　影は頭を左右に振った。その様子に美野梨は笑みを深める。
「私に協力してくれると助かるわ。ここは人目に付き易いから場所を変えるわね」
　美野梨は先に歩き出す。西門の手前で影へと目をやった。
「ありがとう」
　影は頭を掻くような仕草で歩いてきた。

　美野梨は職員室で鍵を借りた。一緒にいた影を気にする教師はいなかった。
　連れ立って北校舎の二階に移動する。
「ここよ」
　理科の特別教室に美野梨が入っていく。影は静かに付き従った。
　大きな黒板が目に付く。その前には黒い長机が整然と置かれていた。隅の方には薬品を収めた棚があった。興味があるのか。影は頻りに頭を動かしていた。
「この場所は理科の特別教室で、化学部の部室としても使われているわ」
　影は大きく頷いた。理解したという意思表示であった。
「質問させていただくわね。あなたは幽霊なの？」
　影の動きが止まった。腕を組むような姿となり、頭を傾げる。
「過去の記憶がないみたいね。それなら身体に訊ねてみようかしら」
　影は手を振った。頭が激しく揺れて動揺を露わにした。
「ここで待っていて」
　美野梨は棚に向かった。開錠して細々とした物を抱えて戻ってきた。長机の上に無造作に置いた。
「最初はこれね」
　細長い懐中電灯を手にした。影に向かって光を当てる。
「屈折は見られない。角度を変えても同じようね」
　影は、ただ突っ立っていた。
　美野梨はビーカーを手にした。水を八分目まで注ぎ入れて影に差し出す。
「手を入れてみて」
　指示された通り、影はビーカーの中に手を入れた。親指を除いて指が水に浸かる。美野梨は観察するような目となった。
「波紋は見られないわ。水中での変化もないわね」
　次々と試し、頭の中での解析を進める。思い付いた案を全て行った。
　美野梨は腕を組んだ。新たな方法の模索を開始する。
「次は火で炙るのはどうかしら。あらゆる薬品を掛けてもいいわね。まずは各種の酸を試して……あら？」
　影の姿が見えなくなっていた。目を細めても同じであった。
　――もう少し、人権に配慮した方が良かったみたいね。
　一つの結果として受け入れた。
「でも、良いデータが取れたわ、ありがとう。実験の続きは、またいつか」
　美野梨は満足げに笑みを浮かべた。

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