誰そ彼時の出会い｜リアクション

誰そ彼時の出会い

　簡素なベッドに横たわっていた朝鳥さゆるがモゾモゾと動き始める。枕元にあったスマートフォンを掴んで顔の前に持ってきた。画面に表示された時間で夕方と知る。
　気だるげに上体を起こし、ふらふらとしながらベッドを離れた。適当に衣類を引っ掴み、浴室へと歩いていった。
　全裸となったさゆるはシャワーを選んだ。項垂れた頭に冷水を浴びせ掛ける。微睡んだ目が覚醒へと向かう。
　冷え切った身体のまま、浴室を出た。バスタオルで水を拭き取り、用意した服に着替えた。タンクトップにショートパンツを合わせた姿になった。ベッドに横目をやり、瞬時の判断で決別した。
　玄関に転がるサンダルに素足を突っ込む。少し湿った髪を掻き上げてワンルームマンションを後にした。

　空は赤く燃えていた。激しい色だが寝起きには優しい。さゆるは目を細めることなく、塩気を含んだ風を全身に受けて歩いた。
　防風林の先にある砂浜に目を下ろす。人は疎らであった。若い男性が二人でビーチバレーに勤しむ。犬を散歩させていた女性は緩やかな斜面を上がって旧市街の方へと足を速めた。
　さゆるは防風林を越えた。斜面を下りて砂浜に新しく足跡を付ける。近くでビーチバレーの練習に励んでいた二人の男性の目を奪う。共に棒立ちの姿となった。どちらも声を掛けるまでには至らず、悔しそうな表情を見せて離れていった。
　さゆるの美しい容姿に暗い表情が映える。それでいて他者を怯ませる圧倒的な雰囲気を醸し出していた。
　さゆるは独り、波打ち際を歩いた。サンダルが波に濡れた。太陽は形の維持が困難となり、柔らかく崩れてゆく。散り際の深い赤を空に解き放つ。
　目は何も見ていない。自然の情景に心が揺さぶられることはなかった。
　規則正しい歩みに変化が起きる。僅かに足が速くなった。敵意に満ちた眼付きとなり、後ろを振り返ろうとして途中でやめた。
　更に足を速める。引き離すことに決めたようだった。
　表情に苛立ちが募る。限界が訪れた。
　足を止めたさゆるは後ろを振り返る。黒い影が立っていた。ズボンのポケットに両手を突っ込んだような格好で少し身体が傾いでいた。
　動揺を隠すかのようにさゆるは海に身体を向けた。海面に弾ける赤い光を見詰めた。唇を引き結び、何かに耐えるように拳を固める。握る力が強いのか。僅かに震えていた。
　耐えられなくなった。目は怖々と横を見る。影は横向きの姿で立っていた。さゆると同じ情景を黙って眺めているようだった。
　さゆるの表情が硬くなる。一方で唇は柔らかさを取り戻した。
「……藍人、なの？」
　別人を思わせる低い声で影に問い掛ける。相手はポケットから片手を抜いて無造作に髪を掻いた。またポケットに収めて、やや猫背の姿で物言わぬ海と向き合う。
「今までどこに……」
　さゆるは口を閉じた。影に倣って海を眺めた。波の音が微かに聞こえる。誰かの囁きに似ていた。
　どれくらいの時間が経ったのか。さゆるはさり気なく横手を見た。影はひっそりと姿を消していた。
　悲しそうな笑みが浮かぶ。
「……もう、行ってしまったのね」
　呟きは波の音にさらわれた。声に込めた想いもどこかに消えた。
　さゆるは歩き出す。砂浜に新しい足跡を刻み、もう一度、悲しげに笑った。

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