猫又川でホタル狩り｜リアクション

猫又川でホタル狩り

☆女医と男の娘

　深倉理紗子は、寝子島総合病院の２８歳の内科医だ。
　去年の秋に過労で倒れて、一カ月の療養を経て職場復帰し──相変わらず超多忙な日々を過ごしている。
　今日も前日から続いた当直勤務で、午後７時に職場である寝子島総合病院を後にした。
　一人暮らしの自宅のワンルームマンションは職場から橋一本渡ったところにあるが。
（なんか帰りたくないなあ……）
　適当に猫又川を道沿いにさかのぼってみると、人の気配があった。
　服装も様々で、気の早い浴衣姿の人もいる。
（なんだろう？　お祭りじゃないわよね？）
　近づいてみると、
「ホタル、もういるの？」
「今年最初のホタル狩りですって」
　と会話が聞こえてきた。
（もうそんな季節なの……）
　ぼんやりと考えながら、何となく足が河原の方へ向いた。
（暗いから足元には気を付けなきゃ）
　ただでさえ忙しいのに、医者がケガをして病院の世話になっては目も当てられない。
　河原を歩くと、淡い光を発しながらホタルが舞っているところが見えた。
　暗闇の中で舞い飛ぶホタルのその幻想的な美しさは、つい今しがたまで過酷な勤務についていた理紗子の心身に染み入るようようだった。
（見ているだけで癒されるというか、満たされるというか……）
　そんなふうに思っていると、声をかけられた。
「綺麗ですね」
　声のほうを見ると、銀色のサラサラロングの髪の子が理紗子に笑みを向けていた。
　あたりを見回し、自分の他に相手がいないことを確認して、理紗子は少しおどおどしながら答えた。
「ええ……」
　背は自分と同じくらいだが、童顔なのかかわいらしく、ずっと年下のようだ。
　患者相手ならいいが、知らない人だと相手が年下でも気後れしてしまう理紗子である。
　
　新井晶は、寝子高２年生。極普通の男の娘だ。
　男の娘に普通があるのかどうかは知らないが。
　学校では男の子の制服を着てるけど、普段は女の子の服を着用している。
　チキンブリトーとコークをもってのんびり蛍狩りに参戦していた。
　ブリトーは、小麦粉で作られたトルティーヤに具材を乗せて巻いたメキシコ、またはアメリカ料理だ。
　晶のろっこん『ＢＢ』は、手に持ったチキンブリトーを食べ頃の温度に温めるという能力なので、冷めても安心だ。
（一人だと退屈だから、同じような境遇の人がいたら積極的に話しかけよう）
　たまにはまったりしようとやってきたが、ネット配信もしている晶だから、知らない人相手でも抵抗なく、むしろ話したくなる。
　そんなわけで、一人で来ているらしい大人しそうな美女に声をかけてみたのだ。
「お仕事の帰りですか？」
　理紗子の手のバッグを見て、晶はそう聞いた。
「え、ええ」
（知らない人に自分のことを話していいのかしら。でも、女の子だし……）
　などと思っていると、近くを飛んでいた蛍が理紗子の足元に向かって行き、急上昇した。
「え……うそ、今、蛍がスカートの中に……」　
　ヘタレでビビりな理紗子は一瞬パニックに陥る。
「あ、私も。ちょっと持っててもらえますか」
　晶は平然と言いコークを理紗子に預けると、身をかがめて自分のスカートをまくるって、一瞬で蛍を摘みだした。
「悪戯ほたるは摘んで、ぽいです」　
　驚いている理紗子に笑いかけ、コークを受け取る。
「田舎育ちで耐性があるんです」
　その様子を見て、一瞬、自分のも取ってもらおうかと考えた虫嫌いな理紗子だったが。
（医者がこんなことで動揺してちゃいけないわね）
　耐性、そう、慣れれば大丈夫なはず。
　覚悟を決め、落ちついて人がいないほうを向くと理紗子は、思い切ってスカートを持ち上げた。
　光が飛び去っていくのが見えた。
「あ、出ていきましたよ」
「よかった……ありがとう」
　心底ほっとした理紗子だった。

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