【７】

　猫鳴館のトイレに入ると、何故か猛烈に『我慢している事』を便器に向かって叫びたくなります。
　神魂の影響です。


　哀れ、最初の犠牲者となったのは、伸幸であった。
「数式ってなにか召喚出来そうだよねぇー！！　図形と合わさると特にー！」
　叫んでしまってから、正気に返る。
「……っは！　ちょっと待って、俺、今 何言ったのってか、何言ってるの俺……！」
　狼狽する余り、文法とか判断力がオカシくなる伸幸。
　順番待ちしていた祐樹は、それとは気付かず疑問符を頭に浮かべている。
　だが、猫鳴館のトイレは容赦ない。
　伸幸は、更に大きく息を吸い込んだ。
「黒板で使う、大きな三角定規と分度器とか、シールド以外の何物でもないよねぇー！　ちなみに剣は、1ｍ物差しなのよー！　50cm物差しと合わせて二刀流なのよー！！」
　叫んでしまってから、両の手を打ち消すようにパタパタ動かす。
「……ってそれ小2、小2病だから、お願い黙って、俺のお口ー！！！」

　げんなりと伸幸がトイレから出てきて、祐樹が次に入る。
「……どうした、騒がしいな？　この雰囲気なら怖くないかも。って、あれ？　なんかこう、叫びたく……」

　祐樹が腹に力を籠めた。
「俺だって、彼女が欲しいぞー！！　エロ本だけで満足できるか――っ！！！」

　言っちゃった、祐樹くん言っちゃったよ。
　しかし伸幸と違って、こちらは眠さゆえか己の所業に、気付いていない。
「ん？　……すっきりしたような、悲しくなったような。……おい、何故俺をそんな哀れみと、同情の目で見てるんだ。まあいいや、少し気分転換も出来たし、テスト勉強がんばるぞー！」
　頑張れ。もう頑張って、少しでもヒエラルキーの向上を狙うしかないのだ。


　コーヒーをがぶ飲みする事で眠気に耐えていた、マウル・赤城・スティックも、おもむろに席を立った。
　廊下の突き当たりのトイレに行くと、便器に向かって揚々と叫ぶ。
「黒人って、デカいって聞いたけど、俺のは普通だな！　あ、しまった。三角定規を持って来ちまった。……さすがにこれじゃ短すぎて測れないよなぁ。他の奴等はどれ位あるんだ？」
　アボリジナルは独特のルーツを持っているので、あまり関係ないと言えば関係ないというのも、今は関係ない。
　無論、三角定規が何センチあるだとか、そういうのも。
　大部屋には女子もいるのに、これ絶対聞かれたよな？　オワタ！
　こんな事を叫んじまっただなんて、頼むから夢であってくれ！
　恥ずかしさに のた打ち回ってたら、針鼠のフードのついた寝巻きを着た逆巻 天野が、足音も荒くやって来て、「うるさい！」と頭をどつかれて、意識を刈り取られた。
　さっきまでは、「折角頑張っているんだもの、邪魔をしては申し訳ないよね」なんて、夜中に騒ぐ寮生に内心迷惑しつつも、遠慮していたのであるが。
　叫んだ内容が内容だったので、元々エロを敵視する天野がキレるのは、一瞬だった。
　仕方ないよね、まだ半覚醒状態だしっ！

「あまくん！？　駄目なのよー、ぶつ場所と力加減をわきまえないとー」
「うん？　ああ、真辺も勉強中？」
　親友の伸幸の顔を認めて、天野も若干冷静さを取り戻した。
　マウルをずるずる引きずって、大部屋の隅っこに投げ捨てる。
「じゃあ、僕は……眠気覚ましに、お茶でも淹れてあげようかな？」
「ありがとうなのよー、あまくん」
　マウルに毛布を掛けてやりながら、伸幸はへにゃりと笑う。
「目が覚めたら、嫌な事みんな忘れてるといいねー」
　そうである事を祈る。


「うう～……、何なの、夜中に大きな声で騒いでぇ……」
　皆がテスト前夜に一夜漬けするみたいだけど、俺は赤点さえ回避出来ればいいやと、暢気に自室で寝ていた、初島 優もマウルの大声に瞼を擦りながら、大部屋にやって来た。
「明日からテストだし、早く寝ようと思ったのになぁ……仕方ない、俺も勉強するかー」
　どっかり座り込んだ優が「部屋の前になんか置いてあった」と、取り出したのは、草薙 龍八と横嶋 下心が配り歩いていた、過去問に性書（常盤 四月のBL本含む）を同封したもの。
　ついでっぽく、PECのお誘いも入っている。
　優はすでにメンバーだから、関係ないのだが……龍八からの「お詫び」なのだろうか？
　にゃろめ。ここぞといい紙使いおって、レタリングまで凝っていやがるし。
　本気で仲間を増やすつもりなのか。
　ロクに問題に手をつけないうちに、変な笑いがこみ上げて来る。
　振舞われたお茶を飲み干し、向かったトイレで優は力の限り叫ぶ。

「選任戦の時のエロテロで俺のPCから失われた秘蔵のエロ画像ー！
　スク水やら競泳水着やらの、肌色控えめな着エロ画像は残ったけど、やっぱり欲しいんだ、おっぱい画像ー！　大きいおっぱい小さいおっぱい、収集し直してるけど、まだ足りないー！
　つるぺたおっぱい大きなおっぱい、形の綺麗なおっぱい、ちょっと垂れたおっぱい！
　個人的には極端に大きいのか、極端にないんペターンなのが、大好きだー！
　でも雄っぱいは勘弁な！！　いつか本物を心ゆくまで堪能したいな！
　
　( ﾟ∀ﾟ)o彡゜おっぱい！　おっぱい！
　( ﾟ∀ﾟ)o彡゜おっぱい！！　おっぱい！！
　( ﾟ∀ﾟ)o彡゜おっぱい！　おっぱい！
　( ﾟ∀ﾟ)o彡゜おっぱい！！　おっぱい！！　」

　優の元気な青少年の主張が、大部屋おっぱい……じゃなくて、いっぱいに響き渡る。
　ガッチャン！　天野の手から、湯飲みが転げ落ちる。
　奈良橋 博美がちょっと眉を上げたが、今日はどうせ止めても無駄だろうと思っているので、自分に被害が及ばなければ、放置する方針だ。クールにノートに視線を戻す。
　血相変えた伸幸が、天野の胴にしがみついた。
「あまくんっ！　素数を数えて、落ち着くのよ～！」
「ええい、離せ！　男には行かねばならない時が、あるんだ！」
「そ、そう言えば、あまくん数学得意なのよね～？　教えて欲しい所があるんだけどなー」
　ピタリ、と天野が静止した。
「……どこ？　数学と理系なら全般得意だから、教えるよ」
　ようやく天野の、前進する勢いが止まって、伸幸はホッと息をつく。
　良かった、まだ微妙に寝ぼけてくれているようだ。

「ここはこう。……そう、大丈夫、正解だよ」
「さすがあまくんなのよー」
「ふむ。思ってたんだけど、成績が良い人が増えれば、猫鳴館も少しは評判が良くなるのでは、と勉強していたんだ。せっかくだから、僕も皆を手伝うよ」
　猫鳴館は馬鹿が多いというより、得意科目が偏ってる人が多いだけな気がするしね、と天野は付け加える。