● 悪徳商人の未来

　スハイルと合流し、忍布を被ってなるべく戦闘を避けて書斎付近まで来たティクスは、下階からの爆発音に驚いて書斎前の持ち場を離れたバールの手下に、不意打ちで切りかかった。
　ティクスの攻撃は相手を一撃で仕留めるほど重くはない。だから手数重視だ。両手に構えた形の違う短刀を素早く切り替えながら連撃を浴びせかける。

（正々堂々戦ってやる気は更々ねえが普段より音を立てて戦いバールの恐怖を煽ってやろう）
　爆発音が遠かったので、襲撃者は外に来たところだろうと考えていた手下は、突然目の前で刃物が煌めき、次の瞬間には自分の体から血しぶきが上がっていることに、思考が追いついていかない。
　反撃の拳はティクスに届かず崩れ落ちる。
　それどころか身の軽いティクスは血しぶきすら避けてみせた。
「団長」
「ああ」
　書斎前に控えていた、癒しの使い手らしき細身の獣人は、スハイルが短刀を投擲して速攻で倒す。
　ティクスは蹲るそいつを乗り越えて、書斎の扉を蹴破った。
（客は？）
　スハイルから客がいるようだと聞いていたが、部屋に残っているのはカップのみ。
　いつの間にか立ち去ったらしい。
（好都合だ。これなら思い切りやれる）
　突然の襲撃に、ソファに座っていたバールが腰を浮かす。
　顔が見えない様に首元の布で面を隠したティクスは、ひと息にバールとの距離を詰め、その太くて短い首元に手下の血で赤く染まった短刀を突きつけた。
「何奴！？」
　この状況で誰何するバールの愚かさに、改めて深々と嘆息する。
　今宵、自分たち十二支団以外に、誰がこんなふうに首元に刃を突きつけると思うのだろう。
「いろいろご苦労さん。俺たちに復讐したかったようだが、甘かったな。てめぇごときがアジトの情報を簡単につかめた事自体、おかしいと思わなかったか？」
「十二支団か！　何故生きている！？　俺が雇った傭兵はどうした！」
「ハッ、のこのこやってくる場所がわかってりゃ迎え撃つのは簡単だろう。随分めでたい頭だな」
「めでたいだと！？」
　もう返事をするのも馬鹿らしい。代わりに首元に当てた刃に力を籠める。
「てめぇが放った荒くれ傭兵どもは、そのうち血相変えて戻ってくるぜ。もっとも数はうーんと目減りしてると思うがな」
　作戦成功の合図は受け取っていた。もう一押し、脅してやってもいい。
　こちとら大事な家を狙われておさまらない怒りがある。
「……さあて、少ない金と嘘の情報で無駄足を踏まされた怒りはどこへ還ってくるだろうな？」
　首の皮がぷつ、と切れる。濁った色の血が一粒、悪徳商人の首を飾る宝玉のように丸く膨らんだ。
「ひっ……！」
　薄皮一枚破れただけなのに、バールは血相を変えて脅えた。
「だ、誰かいないのか！」
　返事はない。
「誰も、いないのか――！？」
　声に応えるように姿を現したのは――燃える炎の髪のフォーマ。
「いないぜ、誰も」
　腕を交差させて構えた一対の圏に炎が宿る。
「どけ団長！　こいつに思い知らせてやる。――次は、無ぇってな！」
　どさっ、と重い音を立てて、バールが倒れた。
　まだフォーマは動いていない。ティクスもだ。
　癒しの光の遣い手を押さえていたスハイルが、ふたりを制してバールに近づき、白目を剝いたバールの首筋に手を当てる。
「おやおや……余程ふたりが怖かったのですね。畏れおののいたバールが、勝手に気絶したようです」
「気のちぃせえ奴だ」
　フォーマが吐き捨てると、ティクスも短刀を仕舞って言った。
「だからこそ、ちょっとのことにも過剰に反応して、あんなケチなニセモノを盗まれたくらいで、大げさに仕返ししようなんて思考になるんだろう」
「で、どうする？」
　フォーマの問いに、スハイルは口元を弓型に笑ませる。
「そうですねぇ。もう二度とこんなことをされては困りますから、よーく反省できるようにして差し上げないとですね。そもそも、うちに狙われる時点で、碌でもないんですよ。まっとうに生きていたら、十二支団に狙われるなんてことにはならないですからね」
　ティクスもフォーマもぞっとするような綺麗な笑み。
「これ以上悪さができないように懲らしめて差し上げましょう、ね？」

◇

　その後、バールがどうしたかというと……。
　
　屋敷の外の草むらの中に倒れていた。屋敷は爆発とボヤ騒ぎで焦げ付き、白い煙が上がっている。
　火に気付いて、消火隊や野次馬たちが屋敷のまわりに集まっている。
「おや、バールさん。こんなところに倒れてどうしました？」
　声のほうへ目線を動かすと、修の顔があった。
　にこやか、且つ、超棒読みだが、バールには、そんなことに頭を回す余裕はなかった。
　起き上がろうとするが体が動かない。
　芋虫みたいにぐるぐる巻きに縛られている。しかも、猿轡を噛まされて声も出せない。
　唯一動かせる目線を動かすと、水色の髪の新人メイド、アリスの姿が目に入った。
「あのぅ、言いにくいんですが、お雇いになられた傭兵さんたちがものすごーく怒って戻ってきて、『バールを出せ』って怒鳴ってるんですけどぉ」
　バールはこれに必死に首を振る。
　よく見れば体に『バールに雇われた方へ　どうぞご自由に』と張り紙がしてある。バールはぞっとした。あの荒くれ者どもに今見つかったら、言い訳もできずにぼこぼこにされてしまうだろう。修たちに先に見つけてもらえて命拾いしたのだ。
　続いて自分を覗き込んできたのは、黒髪黒目の童顔の少年だった。
「今までよっぽど悪さしたんだろ。降参か？　自首するなら助けるぞ」
　怒り心頭の荒くれ傭兵たちに突き出されるより、城の兵士に突き出される方が何倍もましだ。それに、もしかしたら金を積めば今回の騒ぎについてうやむやにできるかもという打算も働き、バールは迷わず縦に首を振った。
　早速亮が呼びに走って、城から甲冑の兵士たちがやってきた。
「立てるか？」
　縄と猿轡を解かれ、両脇から兵士に抱えられて立ち上がったバールだったが、次の瞬間、集まった野次馬や消火隊のみなさんから失笑が漏れる。
　修が介抱のそぶりで、スボンの留具をこっそり「分解」しておいたために、バールのズボンがずり落ちて、ハート柄の下着が露わになったのだ。
　バールは恥ずかしさに真っ赤になってまた倒れた。悪徳は金で誤魔化せるかもしれない。だが、大勢が見ている中で起きた羞恥な出来事は、どんなに金を積んでもなかったことにはできない。明日には町中がバールのハートのパンツの話を知って、悪いと思いつつ――バチが当たったのだと――笑うことだろう。
　
（それだけじゃないぞ）
　騒ぎの輪からそっと立ち去りながら、修は、大人っぽくなでつけた髪をくしゃくしゃと解く。

（帰ったら鞄の中の書類を匿名で城に提出だ。襲撃の騒動と合わせたら揉み消しも出来ない。バールは社会的な制裁を受け、俺達商人は活動し易くなるだろう）
　修の経済人としての脳みそがフル回転する。
（バールが独占していた仕入れの幾つかに連絡を取ろう。購入契約を結ぶんだ。向こうは高く売れ、俺も仲介料という名の上納金を払わず済む。これぞまさにWin-Winだ）
　修の足取りは軽かった。星幽塔での事業も忙しくなりそうだ。

◇

　この騒動で利を得た者がここにもうひとり。
「悪徳商人バールを打ちのめすのには遅れちゃったけど」
　屋敷の屋根を駆け抜ける美人盗賊ティオレの手には、小ぶりなティアラと首飾りがいくつか握られている。
「見張りはみんな倒れてるし、潜入はらくちん。ボヤ騒ぎに乗じてこんだけ頂ければ、さっき裏通りで大立ち回りした甲斐もあったってものだね」
　故買屋に鑑定してもらわなきゃ正確なところは分からないけど、偽物だらけの宝箱の中で、本物と思えるものだけ頂いてきたつもりだ。うまく売れれば、ひと月分の生活費くらいにはなるだろう。宝を捜す過程で、誰かがバールの悪徳ぶりを暴くべく書類を持ち去っていることにも気づき、せいせいした気持ちである。
「これでバールも一巻の終わりだろうね。この先の人生ブタ箱の中だろうし、もうお宝なんて不要でしょ。おかげで私もしばらくはのんびりできそうだわ」