一夜限りの夢｜リアクション

一夜限りの夢

●興味と好奇心

　服部静はBAR【Holländer】へと向かっていた。仕事で寝子島に来る機会があったので、お気に入りであるその店を目指して歩いていく。いつものように扉を開けると、その瞬間、水の音と青みがかかった視界が静を出迎える。その光景に思わず立ち止まった。

（……何だこれは。僕は白昼夢でも見ているのか？　まるで幽霊船か沈没船じゃないか）

　驚きながらも店内へと足を進める。他の客も同じような感想を抱いていそうな顔をしているので、どうやら静だけがそう見えているわけではなさそうだ。カウンターのほうへ歩き出すとマスター・藤堂静に話しかける。

「マスター。これはいったい……」

　静の問いかけにマスターは首を横に振った。

「マスターでも分からないのか。ふむ……不思議な現象だ。学生時代ではこんな事に遭遇しなかった。故に……興味深い」

　ひとまずカウンターに腰を下ろす。そのときふわっとした感触を覚えた。

「おお、重力も海の中みたいだ。それに喋るたびに泡が見える。しかし息苦しくはない。面白い。……む。少々好奇心に駆られてしまったな……お恥ずかしい」

　静は少し照れた笑いを浮かべる。恥ずかしさを隠すように店内に目を向ける。

（よく見れば今日はいつもより賑やかだな。僕がそう見えるだけかもしれないが）

　今日は会員以外も入店できるようになっているので、静がいつも立ち寄るときよりも客が多いのだろう。この不思議な空間も相まって会話が弾んでいるのかもしれない。

「さて、今日は何にしようか。……そうだ。一度マスターに任せてみたい。お願いできるだろうか？」

　マスターはそう言われて、まずドライジンを手に取った。そして日本酒『大吟醸幽か蝶』を取り出した。グラスにドライジンと日本酒が注がれる。ほのかに花の香りが匂い立つ。それを軽くステアしてオリーブを飾る。そのピックには蝶翅の飾りがついている。『サケティーニ』の完成だ。それが静の前に差し出される。
　口に運ぶとふわりとした花の香りと、舌の上に広がるジンと日本酒の感触。静はそれを飲んで、流石の一言に尽きる物だと感じた。
　その味わいを楽しんだ後は一服しようと煙草を取り出す。普段は紙煙草だが、今日はオフなので煙管に刻み煙草を入れて火をつける。ゆらゆらと煙が立ちのぼる。

（……海の中で煙草が吸えるのは面妖な光景だな。だが、悪くない。寧ろ好物だ）

　美味い酒と煙草を味わいながら、この不思議な店内の様子を眺めるだけでも飽きそうにない。そんなことを思っているとマスターからカクテルが差し出された。注文した覚えはないと不思議そうにカクテルを見つめる。マスターに確認すると、少し離れたところに座る柏村文也のほうに腕を向けた。どうやら1杯奢ってくれるという。
　文也が静の近くまで移動してきた。静は礼を言うとカクテルを飲み始める。

（他の客と言葉を交わらせるのもまた一興か）

　2人は他愛のない会話を楽しそうに続けた。この不思議な空間も一役買っているのかもしれない。しばらくすると文也は席を立ち、店を後にした。

（……ええ夜やな）

　静はグラスの酒を見つめながら心の中で呟いた。