寝子島と教室と、制服と私｜リアクション

寝子島と教室と、制服と私

◆放課後の理科室にて

　放課後、生徒たちが帰っていくその後ろを、御巫時子も行く。しかし途中でその列を外れ、時子の足は理科室へと向かった。今日最後の授業も終わった後の理科室は閑散としている。時子はその中で、五十嵐尚輝の背中を探した。

「先生！」

　特徴的な姿は、すぐに見つけることが出来る。時子はその近くへ駆け寄って、陽だまりのような微笑を見せた。顕微鏡にくぎ付けになっていた尚輝の視線も、その声に離れた。

「すみません、邪魔してしまって」
「いえ。ちょうど終わったところなので……」

　と言うと、尚輝は手もとにあったビーカーの中の液体を飲む。コールタールにも似た真っ黒な液体。彼の習慣と、漂う香りから、いつものコーヒーであることが時子にも解った。

「あれから……」

　話題に困ったのか、尚輝は暫し黙り込み、ぼそぼそと言葉にならない言葉を漏らす。

「母にも電話してみました」
「そうでしたか……！　……どう、でしたか？」
「元気そうでした。御巫さんは、渡せましたか。あの……」

　尚輝が言わんとしているのは、母の日を前にして時子の買ったプレゼントのことだ。時子はそれにぱっと表情を明るくして言う。

「そのことなんですけど、先生にお礼を言いたくて……！　母もとても喜んでました……」
「僕はなにもしていませんので……」
「そんな！　一緒に回って頂きましたし……。母も……『ありがとうございます』と伝えてほしいと」

　そう言うと、時子はスマホの写真データを尚輝に見せた。画面の中には、柳のようにほっそりとしなやかで、頬と唇は梅のように紅く――ちょうど時子が大人になったらこのようになるだろうか。そんな佳人が着物姿で微笑んでいた。その上に、あの時買ったショールを羽織っている。

「それは……よかったです」

　尚輝もほっとしたのか、口角を少し上げた……ように時子には見えた。あの。時子は申し出る。

「よかったらお手伝いします。実験」
「ありがとうございます。でしたらあの棚の薬品と……」

　尚輝の指示に、時子はてきぱきと実験器具を取ってきたり、また、使い終わった器具を戻したりと働いた。することがなくなれば、真剣に実験する尚輝のことを眺めた。

「……退屈じゃないですか？」
「いいえ、全然」

　熱心な尚輝の姿を見ていると、実験が楽しいものだと思えてきて、自分もしたくなってくる。そんな素直な気持ちを、時子は尚輝に言う。尚輝は思いも寄らなかった答えにふむ、と呟くと、続けた。

「じゃあ、御巫さんも少しだけ……」

　と、比較的簡単で安全なものを時子の手に渡した。

「お疲れ様でした」

　時子が器具を全て棚に戻すと、尚輝が奥の準備室から戻ってくる。

「よく覚えてますね、場所……」
「えへへ……」
「僕はたまに忘れます……」

　さらりと問題発言した尚輝に、時子はぐっとずいっと言う。

「そ、その時はまたお手伝いしますから！」
「……助かります」

　気付くと外は暗くなりかけていた。時子は名残惜しそうに尚輝の顔を見る。すると、その髪の隙間にうっすらとくまが見えることに気付いた。そしてつい、心配をそのまま口にする。

「先生、睡眠時間をしっかりとって下さい……。机で寝るのは控えて下さいね……」
「……気を付けます。……さようなら」
「はい、また明日」

　ふわふわとした思いを残したまま、時子は理科室の戸を閉めた。彼女が校門を出ても尚、その明かりは残っている――。

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