のんべえエアー注意報！｜リアクション

のんべえエアー注意報！

「尚輝先生じゃありませんか……？」
　声をかけられ、公園のベンチに座っていた五十嵐尚輝は顔を上げる。厚く下ろされ全く見えない彼の細い目が少し大きくなった。
「これは……御巫さん。素敵な格好ですね。どこのお嬢さんかと思いました」
　尚輝の前には帯との色合わせも爽やかな、着物を着た御巫時子が、日傘を手に立っている。尚輝に褒められた時子は少し頬を染めた。
「こんにちは、尚輝先生。お散歩ですか？」
「こんにちは。いえ、僕はステッラ・デッラ・コリーナに用があったんですが……どうも慣れない所に行って疲れちゃいましてね。ここで一休みしてたんです」
「そうですか……外は心地良い暖かさで過ごしやすいですものね」
「ええ。風が気持ちいいです」
　そう言うと尚輝は少し体を横にずらした。
「御巫さんもお急ぎでなければどうですか、ご一緒に」
　時子の大きな黒い瞳が柔らかく輝いた。散歩途中だった時子は日傘を畳むと尚輝に微笑んだ。
「はい、ありがとうございます」

　２人は春の日差しの下、のんびりと過ごす。それは放課後科学室で過ごすあの時間と全く変わらなかった。尚輝が、缶コーヒーを手にするまでは。
　尚輝が「失礼」と時子に言い缶を口にした時―――のんべえエアーが吹き抜けた。

＊＊＊＊＊＊＊

「―――なんですよ、尚輝先生」
　時子は笑いを含みながら尚輝の方を見て、その表情を止めた。時子は眉を微かに寄せ、小首を傾げた。
「尚輝先生？」
　尚輝の様子が、おかしかったのだ。顔を赤くして前後に揺れている。彼の目は前髪で見えないので何とも言えないが、いつにも増してぼーっとしているようだった。
「や、すみません御巫さん……何か突然ふわふわしてきて……」
　ふらふらしながらそう言うと、尚輝はふわーっと大きな欠伸をする。時子は少し驚いたようにぱちぱちと瞬きをしたが、すぐに優しい声で言った。
「尚輝先生、少し横になりませんか……？」
　時子は前につんのめりそうになっている尚輝の肩をそっと取った。そして静かに自分の膝に寝かしてやる。尚輝からの返事はなかった。
　彼は既にすやすやと穏やかに寝入っていた。

　時子は自分の膝に眠る教師を心配そうに眺めた。突然の変わりよう。何か病気でなければいいけど。
　時子はそっと尚輝の頬に触れた。そのまま指を伸ばし、尚輝の厚い前髪を掻き分ける。そしていつも見えない尚輝の目元にどきりとしながら、その額に手を置いた。
「熱はないみたいですね……」
　熱いは熱いのだが、どうも発熱とは違うようだ。では、一体どうしたのだろう……？
　時子はその白く細い指を顎に置き少し逡巡していたが、ふうと息をつくと眠る尚輝の体に優しくショールをかけてやった。
　どんな事が起こっているのかは分からないが、いいではないか。どうやら先生は具合が悪くなった訳ではなさそうだし、自分の膝で気持ちよく寝てくれている。
　その時、ちちちと時子の肩に小鳥が留まった。時子は指に小鳥を乗せ、ろっこんを使い笑顔で話し始める。
　柔らかく落ちてくる木漏れ日、うららかに吹くそよ風。こんなゆったりした日も悪くない。

　ひとしきりのお喋りに満足したのか、小鳥はまた飛び立っていった。時子は空いてしまった指を口に当て、ふわあと小さく欠伸を漏らす。どうやら時子も眠くなってしまったようだ。
　何て今日はお昼寝日和なんだろう。尚輝先生が起きるのが先か、私が起きるのが先か。目が合ったら笑顔で挨拶をしよう。「おはようございます」と。
　時子は膝で眠る愛しい人を見て、小さく微笑んだ。いつも研究三昧の先生。疲れているのなら、いつでも力になりたい。この膝くらい、いつでも貸してあげたい―――。

　気持ちの良いある晴れた日の公園で。
　ベンチで仲良く眠る２人の姿があった。