自動販売機の精｜リアクション

自動販売機の精

●紅茶の精
　桜月は今日も夜の街を歩いていた。
　人通りの少ない道をゴスロリ美少女が歩けば、それはこの世のものとは思えぬ神秘的な光景となる。
（思っていたより、寒い）
　春になったとは言え、朝晩はまだ冷え込む。昼間は暖かに思えたため、薄着で出掛けた月。
　上着を取りに戻ろうか、と思案していると、赤色の瞳に一台の自動販売機が映りこんだ。
（……趣味悪い）
　派手派手しい金色。あり得ないセンスに若干訝しむ月。
　他の所で買おうか？　と思うも、その思考を吹き飛ばすかの如く、一陣の風が月の身体に冷気を当てた。正直、寒い。
（いざとなれば影で対処すればいいか）
　いつでも呼べるよう、念じる準備も万端に。月は暖かい紅茶のボタンを押した。

　呆気ないほどに、出てきたのは普通の紅茶だった。
　缶を両手で包み込めば、温もりがじんわりと身体を暖める。
　紅茶を飲もうとプルタブを引けば、途端に真っ白な煙が立ち込めた。
『出ろ』
　月が咄嗟に念じれば。彼女の影が地面から這い上がり、実体化していく。
　おぞましい。そう思いながら月はも己の影を前に立たせ、様子を伺った。
「はじめまして、お嬢様！」
　気づけば、目の前にはシルクハットを被り、タキシードに身を包んだ優男が立っていた。にこやかな笑みを浮かべているが……
（胡散臭い）
　月は咄嗟に判断した。
　影は月を守るようにゆらゆらと揺れている。
「お嬢様、良き夜ですね！　ここでお会いできましたのも何かの縁、お嬢様の願いをこのワタクシが叶えて差し上げましょう！」
　仰々しい男に、月はピシャリと言い切る。
「願い事？……特にないんだけど」
　だが、めげない紅茶の精霊。
「これでもワタクシ、名のある使用人として働いていたこともあるんですよ？」
　誇らしげに胸を張るも
「間に合ってる。要らないよ」
　恋人の顔、表情、温もりを思い出し。月はキッパリと言い切る。
「さようでございますかぁぁぁ」
　明らかにションボリと落ち込む精霊。大人げなく肩を落とす精霊を見、月は大きくため息をついた。
（呼んじゃったのは私だし、何も言わずに追い返すのも……）
「わかった、それじゃあ……」

　月の願いを聞き、精霊はピンと背筋を伸ばした。
「お任せください、お嬢様！」
　精霊は、ご機嫌に己の胸を叩くのだった。

　夜の世界を透き通った美少女と謎の執事、そして黒く揺れる影が闊歩する。
「散歩にお誘いいただけて有難き幸せです！　夜桜、また花弁が散る様も綺麗ですね、お嬢様！」
　嬉しそうな精霊に、月は表情を変えずにコクリと頷く。
　言われた通りに空を見上げれば、暗い闇に桜の淡い花弁がチラチラと舞っている。
　昼間の世界は月にとって遠い国のように思える。だが、同じ空間を月は生きているのだ。
　月に見える景色、そしてこの想いを服飾のデザインに込めよう。真剣な表情の月の横顔に、精霊はしばし見惚れた。
「お嬢様」
「何？」
　精霊が、月の肩にそっと布を被せた。薄着だった首元が暖かさに包まれる。
　月は通りかかった店のショーウィンドウに映る自分の姿を見れば、レースの入った薄桜色のケープが肩にかかっていた。
　黒主体のゴスロリ衣装の印象が柔らかく感じられる。
「……これなら、デザインのイメージになるかも」
　目を細める月に、精霊はシルクハットを脱ぎ、恭しくお辞儀をした。

　気づけば、自動販売機前に戻っていた。
　影は元の影へと戻り、手には温かな紅茶の缶。
　肩に手をやれば。
（まだ、あった）
　桜色のケープは月の首元を暖めていた。
（いつか、返そう）
　月は暖かな紅茶で喉を潤しながら、夜の道を星ヶ丘寮に向かって歩いていった。

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