ケモノビト｜リアクション

ケモノビト

　九夜山は昼間であっても、少し深いところまで来ると木々が密集して薄暗くなる。
　木の葉が揺れた。
　木の枝から木の枝へと駆け抜ける茶色の影が樹冠からちらちらと見える。
　リスだ。
　自身の速さを誇示するように、そのリスは九夜山の森の中を駆け巡る。ただ速いだけではない。飛び跳ね、駆け登り、三次元的な激しい動きはアクロバティックとさえ形容できる。まるで森を騒がせる一陣のつむじ風のようだった。
　ふと、一際大きな針葉樹を見つけたそのリスは、幹をよじ登ってその頂点に立つ。
「…………」
　今まで走ってきた道を確かめるように眺めて、一つ満足そうに頷いた。
　尾先の白いそのリスは、新田亮だった。

　早朝に目覚めるとリスになっていた彼はすぐに神魂の影響だろうと直観し、こうして九夜山に来ていた。
　住宅地ではなんとなく落ち着かない――身体もリスになっていれば、心もリスの影響を受けているようだ――のもそうだが、まず何よりも彼はこの身体で動き回ってみたいという好奇心があった。
　数分ほどの時間だったが、全力で駆け巡ってみておおよそのコツを掴めた。人間の身体とは全く違う動作だが、それでもある程度慣れるまで早かったのは神魂の影響だろう。
　亮がするすると針葉樹から降りると、ひょっこりと縞模様のリスが現れた。シマリスだ。
　シマリスは亮のことを値踏みするかのようにじろりと眺め、小さな声で鳴いた。
「お前見ない顔だな」
「おう。街の方から来た」
「街の方？　なんだおまえ、人間に飼われていたんだな」
「そうじゃなくて。いや、間違ってはないんだけどさ……」
「ふぅん。まあいいか」
　そんなことより、とシマリスは言う。
「レースしないか？」
　突然の提案に亮は驚いたようにぱちぱちと目をしばたたかせたが、ニッと笑うように二足で立ち上がった。
「……やってやろうじゃねえの。ここからスタート、ゴールはあそこに見える展望台までで良いな？」
　亮が彼方に見える展望台の方を向いて指し示すと、ああ、とシマリスは頷いた。
「面白い走りをする街リスだから期待してんだ。がっかりさせてくれるなよ」
「そういうことは勝ってから言えよな」
　互いに軽口を叩き合いながら、身構える。
　しんと静まり返った森の中。二匹の目の前に、ひらりと木の葉が落ちる。
　葉が地に着いたその瞬間、二人は駆け出した。
　初速でリードしたのはシマリスだ。目にも留まらぬ速さで枝から枝へ飛ぶように駆ける。
　その後ろを追随するように走るのは亮だ。初速こそシマリスに負けているが、今回のレースはそれなりに長い距離だ。朝のジョギングを日課としている彼には、序盤に全力を出してもスタミナ切れで追い抜かれるのが容易に想像できた。
　予想通り、中盤にはシマリスの速度も落ちてリード差はかなり縮まった。だがその一方で、慣れないリスの身体でスタミナ管理がうまくいかず、亮もまたスピードを落としていた。
「（……頭だ）」
　格闘技でもそうだ。走る時にも頭を使え。亮は考える。
　地の利も身体の慣れも向こうにある。ならばそのアドバンテージ差を縮めるのは心理的な駆け引きにある。
　ギアを一つ上げるようにスピードを出して、徐々に距離を詰めていく。
　表情が見えるほどの距離に達する。並走するシマリスの表情は、焦りが見えていた。負けず嫌いな性質なのだろう、抜かれるものかと無理な加速をして、また距離が離れる。
　一度ペースを崩したシマリスは体力の落ち込みも早かった。亮が体力切れで追いついたところをまたシマリスが無理に加速し、亮がまた追いつく……。
　後ろから迫られる圧力。優位性を崩される焦り。
　それらを利用した亮の勝利だ。
　展望台に着いてレースが終わり、二匹は木の実を食べながら互いの健闘を称え合う。
「街のリスもやるじゃん」
「そっちこそ良い走りだった。機会があればまたやろうぜ」
　笑うように、二匹は長い尻尾を揺らし合っていた。

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