みんなで楽しいひなまつり！｜リアクション

みんなで楽しいひなまつり！

　深倉理紗子はひなまつりのこの日、病院にいた。
　別に体の具合が悪くなった訳ではない。彼女は寝子島総合病院の内科医。本日はちょうど休日外来の当番だったのだ。
　天気は快晴。外はまだ肌寒くはあるが、春めいた陽射しがロビーの大きなガラスから差し込み、病院内は明るく、暖かかった。
　そしてそのロビーには雛人形が飾られ、医師控え室やナースステーションにも小さな雛人形が置かれたりと、病院内も春の装いだ。無味乾燥になりがちな建物の中で、雛人形達は華やかな雰囲気を漂わせながら春を伝えていた。

　医師控え室から気分転換にロビーに出てきた理紗子は、静かに待合室のソファに座ると、外を眺めた。
　今のところ急患が運ばれたり、入院患者の容体が悪化したりといった事は起きていなかった。休日外来も今の時間までに数人が来ただけで、いずれも風邪程度で大したことはなかった。戦場のような忙しさにいつ放り込まれてもおかしくないのが病院だ。だからこそ、この平穏なひとときは貴重だった。
　理紗子はぼんやりとロビーの雛人形に目を移した。綺麗な雛人形。そういえば、去年のひなまつりは寝子島神社へ桃の花を見に行って、お守りを買ったっけ。あの時のお守りはまだどこかにあるはずだけど、どこへやったかしら……。

　ロビーは柔らかな陽射しが入り込み、ほんわりと暖かい。陽射しだけを取り込み外気を遮断しているロビーは、ここだけ一足早く春が来たようだ。今はまだ肌寒いが、春は駆け足でやって来る。あと数週間もすれば外もこのロビーのような春の陽気に包まれるのかもしれない。そう、毎年春はやって来る。
　そこで理紗子は少し苦しそうに俯いた。思い出したのだ。あと２週間ほどである人の誕生日が来る事を。
　それは、今は亡き次姉の誕生日。生きていれば３３歳になるはずだった。

　春の陽射しとともに彼女の姿が鮮やかに理紗子の胸に蘇った。どんなに時が過ぎても彼女が色褪せる事はない。彼女は、この陽射しのように温かな人だった。
　理紗子はぐっと奥歯を噛み締めた。
　今、こんな所で姉の事は思い出したくなかった。ここは職場。こんな所で思い出したら泣いてしまう。泣き顔なんて見せたくなかった。同僚にも、患者にも……思い出の中で生きる姉にも。
　理紗子はギリギリで涙を堪えた。ロビーにはスタッフが来る事も、入院患者が下りてくる事もなかった。
　―――大丈夫、誰にも見られていない。
　理紗子は静かに目を閉じて、立ち上がった。白衣を翻し医師控え室に戻る。そこにいるのは患者を的確に救う優秀な内科医。姉を思い涙を零す小さな女の子はいなかった。

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　昼休み。
　スタッフからの差し入れのひあなられをポリポリ食べながら、理紗子はふと親友の深林真瞭の事を思い出した。
　演奏者として非常に優秀な彼女は、所属する楽団の第一ヴァイオリニストとコンサートマスターとして日々忙しくしている。今も東京にいるはずだ。
（今日はひなまつりだけど……気が付いてるかな？）
　東京で１人、どう過ごすのだろう。……少しでも季節を感じる余裕があればいいけど。
　ぽりり。真瞭の事を想いながら食べるひなあられ。それは甘く懐かしい味だった。