開放的な一日｜リアクション

開放的な一日

　青山絢はシーサイドタウンのマンションを後にした。黒いワンピースに薄桃色のカーディガンを合わせて気ままに歩く。手にはデジタルカメラを持っていた。たまに目が被写体を探す。見つけた対象にカメラのレンズを向けることもあった。しかし、シャッターを切るまでには至らなかった。
　街の喧騒から離れた。寝子ヶ浜海岸が一望できる道をゆっくりと歩いた。凪に近い海面を無数の光の粒が転がる。ファインダー越しに覗いて、軽く溜息を吐いた。
　――どうしてカメラなのよ。過去の苦しい記憶を思い出させるだけなのに。
　不満を露わにした顔で横に逸れた。砂の斜面を大股で下りていく。乱れた長い髪は適当に手で払った。
　今度は波打ち際を歩く。波の輪郭をなぞるように細かく足を動かした。
「おーい！」
　呼び掛けるような野太い声に絢は後ろを振り返った。青いウインドブレーカーを着た男性が走ってきた。見た目の年齢は三十代の半ば。久しぶりに出会った親友に向けるような人懐っこい笑顔で手を振っている。
　――絶対に私ではないよね。見たこともないし。
　そのように思って周囲に目を向けたものの、人はいなかった。細目で遠くを見ても同じであった。
　男性は絢の手前で滑るようにして止まった。
「やあ、こんにちは！」
「あ、はい。こんにちは？」
　疑問符の付いた言葉を返す。白い歯を見せて笑う男性は意に介さず、話を続けた。
「君に出会えたことは僕にとって無上の喜びだよ」
「そう、ですか？　私には話の流れが、よくわからないというか」
「ほら、僕って着痩せするタイプだから、鍛錬の成果を見せる機会が少ないんだよ」
　力んだような顔で男性は次々とポーズを決める。絢は光を失ったような目で口の端に笑みを作った。
「じゃあ、このロケーションで、早速、撮影会を始めよう！」
「え、もしかして私はカメラマン役とか？」
　男性はウインドブレーカーを脱ぎ捨てた。黒いタンクトップを自らの力で引き千切る。露わになった筋肉を誇示するように両拳を腰に当てる。黒光りする筋肉を隆起させて笑顔となった。
「僕のフロントのポーズは見事だろ。筋肉は切れているよね。ナイスポーズと叫んでもいいよ！」
「切れている？　ナイスポーズって？」
「ほら、早く撮って！　この僕の躍動する筋肉を写真に収めて！」
　ポーズを決めたまま、男性がにじり寄ってきた。絢は慌ててカメラを構えて相手の前進を阻止した。
「じゃ、じゃあ、撮りますね」
「でかい！　ナイスポーズ！」
　目を血走らせた男性が自身を褒める。次に背中を向けて広背筋を見せ付けた。足はがに股のようになって爪先立ちとなった。
「ダメだ。こんなんじゃ、全然、満足できない！　僕の撮影会はもっとビッグじゃないとダメなんだよ！」
　脱ぎ捨てた衣類を拾い上げて男性は猛然と走り出す。砂塵を巻き上げて斜面に挑み、数秒で姿が見えなくなった。
　残された絢は、その場にへたり込んだ。
「何なのよ」
　項垂れた姿で長々と息を吐いた。手元のカメラに目がいく。撮影した数枚を次々と画面に表示させた。蛇腹のような腹筋に蠢くような筋肉の塊に嫌悪感が募る。
「なんか、芋虫っぽいんだけど」
　血の気が引いたような白い顔で空を見上げた。天気は上々で雨は降りそうにない。
　――雨女にはならなかったけど、どうしてこうなった？
　少し怒ったような目で空を睨むのだった。

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