■第二幕：怪奇月詠屋敷
　さていっぱいのお運びでたいへんまことに恐縮でございますが、一つ女ってえやつについてお話させて頂きますね。
　今ではイクメンだとか弁当男子だとかいって男の家事は当たり前、女にばかり家事をやらせるとコノヤロウってなもんで箒で家から掃き出されてしまう始末ございますな。
　しかしイツダカ時代の椿 美咲紀さん。この人は偉いもんです。
「大家さん、大家さん！　お洗濯が済みましたよ！」
「あら美咲紀さん。いつもすまないねえ、自分の家ってわけじゃあないのにお洗濯にお掃除に、果てはご飯まで作っていくっていうんだから。あんたのお兄さんは幸せもんだよ。これじゃあ結婚もできなくて当然かもしれないねえ」
「いやいや、自分の分を作るついでなのですよ。それに放っておくのもね。あの人はすぐに散らかすんだから、よその迷惑になったら悪いじゃないですか」
「本当にできた妹さんだよ」
　とまあこんな具合で美咲紀は長屋の人気者でございます。
　若いなりに井戸端会議にだって参加して、しわくちゃババア……あいやお年を召した淑女の皆様と和やかにお話なんてするわけでして。
「おやごらん、哀坂さんが帰ってくるよ。頭をちょんと下げて挨拶をして、あの人は大人しいねえ」
「女一人で長屋に住むのも苦しいだろうに、よっぽど苦労をしてるんだよ」
「苦労と言えば聞いたかい、月詠屋敷が町民をごまの油みたいに搾り取ってるって話だよ」
「あら恐い。本当なのですか？」
「本当だとも、なんでも『山吹色のお菓子』をばらまいて私腹を肥やす大悪党って噂さ」
「ばらまくのはなんかちがくないです？」
「違くなんかないさ、蓄えてはばらまいて蓄えてはばらまいて、そんなことできるのは悪い奴かししおどしくらいなもんじゃあないか」
「噂じゃあんたのお兄さんも搾り取られたって噂だよ。毎夜毎夜山吹色のお菓子を作らされているっていうじゃないか」
「お兄さんが！？」
　人ごとは他人事といいますがね、実の兄の話とあっちゃあ黙っていられませんよ。
　兄のついでに長屋の洗濯物を洗っちまうような子ですからね、まずは家にとってかえって壁にかかった槍と脇差し一本さしまして、いざ月詠とばかりに飛び出していったんでございます。

　さてやってきました月詠長屋。美咲紀が玄関を開けて『たのもー！』と入っていきますと女中の者たちがどうぞどうぞいらっしゃいましたと道を空ける。
　代官屋敷に討ち入りするのに玄関から声を上げて頼み込むサムライもそういやしませんが、道を空ける代官屋敷もまあ見ませんな。
　けどあるんだからしょうがない。美咲紀もこれ幸いと槍を手にずんずん進んでいくわけでございますが、罠だらけの代官屋敷。
　門を開けて中へ入ったその途端に頭の上からタライがすとーん！　頭にゴーン！
　それはそれはいい音をたててぶち当たったもんですから、美咲紀は頭を抱えてうずくまります。女中さんがたはおろおろするばかりで襲っても来ない。
「なんなんですかこの屋敷は……！」
　美咲紀は腕を再びまくり直して帯をくくると……はっ、屋敷の奥に見えるは旅鴉 月詠。
「見つけましたよ悪者め！　捕まえてやるのです！」
　槍を手に走りますが月詠はサッと廊下の奥に消えていく。折角見つけた悪者ですから逃がしちゃあ行けません。追いかけて走って行くとそこは長い長い廊下でございます。
　左右の襖にはタコやらエビやらノコギリやらが描かれているんですな。
　こんな珍妙な襖は見たことが無い。見たことが無いものは恐い。
　美咲紀は槍でつんつんとやりながら進むんですがそんな彼女の足下が急にストーンと抜ける。
　咄嗟に槍を壁に突きましてこらえるんでございますが、下に控えるのは大きなタコ。
　このまま落ちてぬめぬめのぐねんぐねんになるってえお話にはならないんですな。こちら年齢制限ＮＥＫＯ－らのお話なもんでございますから。
「うう、酷い目にあうところでした」
　さて、よじよじと登っていく美咲紀ですが、頭の上からタライがストーン。またもゴーンでございます。
「ま、またタライ……！」
　もうその先はタライ地獄でございます。
　襖の画から飛び出したマグロに驚けばタライがゴーン。
　床から飛び出したノコギリをよければタライがゴーン。
　落とし穴を飛んでよければタライに直接ゴーン。
　改造アクションゲームの意地悪ステージさながらのタライ配置でございます。
「も、もうだめ……」
　人間タライだけでも随分ダメージを受けるもんです。主に心のダメージですな。
　美咲紀はその場にぺたんと座り込んだ。そばの襖がガラッと開く。
「やあ」
　現われたのはかの大悪党、月詠でございます。
　美咲紀ももう心をタライに折られておりますから、『くっころせ！』と言わんばかりの乙女座り。
　ここで帯を回してよいではないかと――おっとこちらＮＥＫＯ－らでございました。
　月詠は懐からなにかを取り出すと美咲紀の口にずんと何かを突っ込んだ。
「ももっ、こ……これは……！」
「かすていらである」
「か、かすていら……？　あの小麦粉と卵とお砂糖を練り合わせてオーブンで焼いたあのかすていらですか！」
「くわしいね」
「あ、あまくてふわふわ……ハッ、山吹色のお菓子では！？」
　美咲紀が気づいたのもつかの間、月詠ががらりと襖を開けますとそこにはお兄さんづくめ沢山の男衆が卵白と水飴をぐるぐると混ぜ合わせているじゃあございませんか。
　特にお兄さんの担当は卵白と牛乳を混ぜた生くりいむをぎゅうぎゅうと絞って乗せる係でござまいます。
「私は山吹色のお菓子が大好きだからね。沢山作らせているのだよ」
「そ、そんなあ……！」
　美咲紀はながーいカステラを端からもふもふ食べながら、ぱたんと仰向けに倒れたのでございました。