音色『　』色｜リアクション

音色『　』色

　四角く切り取られた鉛の海に、レースのカーテンが重なった。
　ふいに、整理整頓された勉強机に向かいペンを走らせていた八神修の手が止まり、顔を上げる。窓辺を見やればいつの間にか外遊びを終えて部屋に上がり込んでいたマーブルの姿があった。次いで扉へ視線を移すと、開かれたわずかな隙間に身体を滑り込ませて順繰りに友人たちが部屋へ入ってくるところだった。
　時計を見れば、帰宅してから相当時間が経っていたことがわかる。

「……そろそろ休憩にするか」

　修は苦笑交じりに化学の参考書を閉じた。
　蓄積した疲れを少しでも和らげるため、修が軽く背筋を伸ばして解していると、殿を務めた大型犬のカエサルが器用に鼻で扉を閉めて、修の足もとに擦り寄ってきた。
　つぶらな瞳で見つめられると、自然と修から笑みがこぼれる。

「お利口だ」

　頭や喉元を撫でてやると、カエサルは嬉しそうに目を細め、一層その身体を修にこすりつけてくる。

「困ったやつだな」

　口ではそう言いながらも、修はすっかり眦を下げ、気を緩めていた。するとその様子を見ていたカールや猫達がズルいとでも言うように修にじゃれついてくる。

「待て待て。順番だ。……そうだ」

　友人達を宥めると、修は再び参考書を開いて化学記号の一覧が記載されている頁を開いて見せた。

「知っているか？　化学で使う記号というのは音符とよく似ているんだ」

　修が愉快げに話すが、彼らはどこ吹く風。テオテオは欠伸をして、ミストに至っては参考書に向かって猫パンチをするという始末だ。

「なら……」

　落ち着きのある声で、歌を口ずさむ。子供が母親に身近な化学について――水や砂糖は何でできているか尋ねる歌だった。
　楽しそうに耳を傾ける友人達の態度を面白がりながら、修が続きを歌っていると、ふわふわと部屋を舞う白い物体に気が付いた。
　毛玉か何かだろうか。修はハシバミ色の目を細めた。

「って……雪？」

　瞬時にこの現象の原因に思い当たり、修は頭を抱える。また神魂か、と。しかししばらく観察していても何の害もなくそれどころか、ただただ美しいそれに、いつしか修は心を奪われていた。

「……綺麗だ」

　猫達もこたつで丸くなるどころか、飛んで跳ねてじゃれついている。犬達は言わずもがな。
　そして彼らが跳ねれば跳ねるほど、雪は増え、すぐに修は音と雪の因果関係を察知した。
　ならばと修は唇に歌を乗せる。今度の歌は、化学反応を恋になぞらえた『下心の化学反応ラップ』。リズミカルな言葉遊びに合わせて現れる大小色形様々な雪の結晶が、修の部屋を埋め尽くした。

「っと、こらこら。少しは落ち着いてくれよ」

　興奮した犬猫達が修に飛び付き、歌い始める。猫達ならまだしも、大型犬のカエサルやカールを受け止めるとなるのは一苦労だった。

「わふッ！」
「こら、くすぐったいよ」

　あちこちを舐められ、修は普段の彼からは想像もつかないほど笑い転げた。その目尻から一粒の涙が零れ、ある雪を濡らす。

「ん？」

　修は涙の吸い込まれた結晶を見据え、考え込む。恐る恐る男性らしく筋張った手を伸ばしてみると、指先に触れたのは想像よりも硬質な感触だった。驚いた修は、結晶を手繰り寄せ掌の上に乗せてみた。結晶は待てども待てども消えることはなく、しっかりとした重みと共に確かに修の掌の上にあった。

「嗚呼……綺麗だな」

　どこまでも透き通った結晶の美しさも見事だが、雪が涙に反応して変化したという事実に強く胸を打たれる。
　化学では説明できない、超次元の反応。修は戸棚から空き瓶を取り出し、その中へ結晶を丁寧に仕舞い入れると、光の差し込む窓辺へと飾った。

（あおいに見せれば、どんな反応をするだろうか）

　想い人の、喜び輝く碧眼を思い浮かべ、修は至福の時に浸る。そして醒めやらぬ感動を表現すべく、ヴァイオリンを手に取った。

（心も無色に……無心に……）