音色『　』色｜リアクション

音色『　』色

　筆を止めて、ようやく窓の外の変化に気が付いたロベルト・エメリヤノフはがっくりと肩を落とした。

「わ、もう真っ暗なんだ……冬は油断するとこうでやだね」

　認識すると途端に寒さがしみわたる。ロベルトは手早く道具を片付け、絵の具で汚れた手を洗った。
　蛇口から容赦なく溢れる水は刺すように冷たい。

「あーやだやだ」

　悪態をついたところで絵の具は改心するはずもなく頑固なまま。ロベルトは根気よく手をこすり続ける。汚れが完全に落ちることも、冷たい水に慣れることもなかった。

「……そういえば泊まる場所決めてなかった」

　失態を重ねる自身を呪うが、今更わめいたところで寝床は彼を訪ねてきてはくれない。
　深いため息を付き、美術室を出る。下駄箱で靴を履き替えて、玄関に出ると。

「……あ！　来島！」

　ロベルトは今日の寝床を発見した。

「あれ？ロベルト先輩？」
「来島も居残りかい？　せっかくだから一緒に――」

　下心たっぷりで声を掛けると、来島アカリは柔らかそうな頬を薄赤色に染めて首を振る。

「いや、俺は――」

　子供みたいに艶のある青髪を振り乱し、慌てふためく彼は今日も可愛い。ロベルトの眉はつい下がりっぱなしになる。
　そこへ風がびゅうと吹き付けた。

「へ？」
「ん？」

　風が運んできたのは、寒さと落ち葉ばかりではなく。

「歌？」
「……みたいですね」
「この声は獅子目かな……？」

　そう思い至ってこっそり来島の様子を盗み見ると、彼もまたこの声の主に気が付いたようだった。

「本当だ、獅子目の歌……ですね」

　小さな唇から飛び出した言葉にこもった複雑な色に気が付かないほど、ロベルトは鈍感ではない。

「……講堂の方だね、行ってみよう」
「え、あ、はい」

　けれどそこに触れることはなく、声の方へと歩き出す。
　講堂の扉をこっそりと開けて中を覗いてみると、たしかに獅子目悠月はそこにいた。それもステージのど真ん中に。
　真紅の髪を揺らし、細く長い指で胸を掻き空を掻き、身体の奥底からひり出すように歌ってもなお様になる。

「やっぱりこういう時の獅子目は絵になるね……！　練習中かな？」
「……そうですか？」

　来島は力ない否定の言葉を吐くと、するりと身体を滑らせ講堂へと足を踏み入れた。
　ロベルトも彼に続いて中へ入り、獅子目の邪魔にならないよう端の影へと身を隠した。それからはどちらも無言で、ただ獅子目の歌だけに耳を澄ませる。
　どこまでも力強い彼の歌声。そしてそれと共に生まれた輝く雪の結晶達。主の元を離れ講堂中を舞い上がる結晶は、例外はなくロベルトの元へもやってきた。
　いくつもの針が重なった花のような結晶。
　そして一度歌が止んでから現れた均整の取れた結晶。六つの花弁にすべてが均等な剣を携えており、勇ましく荘厳。かすかな光を集めて貪欲に輝こうとする姿は、今舞台に立つ彼にもよく似て見えた。
　ロベルトは気が付いたときにはその結晶を手に取っていた。

「なんて綺麗なんだ……」

　涙が落ち、結晶へ吸い込まれていく。結晶は溶けることはなく、むしろ水分を纏ったせいで一層輝きを増したように見えた。

（でもこの歌声……）

　ロベルトは結晶ではなく、今なお声を張り上げる獅子目に視線を移した。

（どこか……焦ってるのかい？　獅子目）

　ロベルトの心配をよそに、完璧に近い結晶が講堂中へ溢れていく。　

（僕もちょっと前はすごく焦ってたな……才能ある友人を妬んだりもして。
　でも獅子目は僕のときとも違う。
　獅子目の歌はまるで……この一瞬に全てを賭けてるみたいだ）

　いつか突然ぷつりと糸が切れてしまいそうで。ロベルトは唇を引き結ぶ。

（何が君をそうさせている？　教えてくれる日は……来るのかな）

　手の中の結晶を握りしめる。剣が掌に食い込み、小さな熱を生んだ。

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