空飛ぶチョコレイトハート｜リアクション

空飛ぶチョコレイトハート

●チョコレートの檻
　呉井陽太はチョコレートを手に入れた。
　バレンタインデーを前にして早くも……と言いたいところだが、経緯が経緯である。
　一体これをどうしたものか。
「オレに向かって飛んできたよなあ、このチョコ。食べていい……わけないよねぃ」
　持ち主が追いかけてきてくれれば丁度いいのだが。
　と思った矢先に白草朱乃が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「せっ、先輩！　それ……」
　朱乃とチョコを交互に見て、陽太は柔らかく微笑んだ。
「これ朱乃ちゃんのチョコだったのん？　なら返すわー」

　白草朱乃は少女である。
　バレインタインデーに心がわくわくするような、そんな少女である。
　誰が誰にチョコを渡すか気になるし、この日を境に公認カップルになる男女も少なくない。
「私も誰かにチョコを渡したり……して」
　頬をちょっぴり熱くしながら呟いてみると、頭上のもやもやの中に柔らかい笑顔の彼が浮かんだ。
「呉井先輩！？　ちっ、ちがうのちがうの！」
　腕をぶんぶんやってもやもやをかき消して、立ち止まって深呼吸。
　ちがうと言ったものの……だ。　
　思い浮かぶ理由は分かっている。
　よく喋る男子とも、クラスメイトと話題に上げるカッコイイ男子とも違う。
「私、呉井先輩のこと……」
　ちくりと胸に走る痛み。
　痛みと共に胸から飛び出したのは、可愛い粘土細工のようなチョコレートだった。
　羽の生えた女の子を象ったチョコレートだ。
　チョコは羽をぱたぱたやると、まるで行き先が決まっているかのように飛んでいった。
　いや、飛んでいったというか。
　軽く２０メートルほど先にいる呉井陽太本人の肩にごっつんとぶつかった。
　手に取る陽太。
　声にならない声を上げる朱乃。
「せっ、先輩！　それ……」
　駆け寄って声をかける。
　なんて説明しよう。
　『胸から飛び出したチョコですの。先輩のことがだーいすきですの！』
　ないないそれはない。誰だその子は。
　それ以前に、羽を生やして飛び回るチョコなんて渡すわけにはいかない。
　ぺこりと頭を下げて、朱乃は事情を説明しようとした。
「これ朱乃ちゃんのチョコだったのん？」
　顔を上げる。
　陽太がチョコを見つめている。
　朱乃としてはこんなチョコを渡したくはない。
　けれど、もし受け取ってくれるなら。
　笑顔で受け取ってくれるなら。
　それってきっと、自分のことを……。
「じゃあ返すわー」
　陽太は笑顔でチョコを差し出してきた。

「朱乃ちゃんも誰かにチョコあげるのかあ。いいなー、オレも朱乃ちゃんのチョコ欲しいな」
　しばらく停止していた時間が動き始めた。
　ハッとしてチョコを握りしめる。
「わた、そうと……」
「うん？」
「渡そうと、思ってます。呉井先輩に」
　目を合わせるのは、難しい。
　チョコを見つめて喋るのが、今は精一杯だ。
　高い場所から声がする。
「オレにも？」
「……」
　そうですよ。と、言ってしまおうか。
　きっと楽になれるだろう。
　手の中で、女の子の形をしたチョコレートがぴくりと動いた。
　強く握ると、朱乃の中に溶けるように消えていく。
　そうだ。
　目をしっかりと開いて、先輩の目を見よう。
「先輩に、あげます」

　年下の少女に、正面から見つめられたことはあるだろうか。
　陽太は朱乃の強い視線を受けて、目線を左下へと泳がせた。
「そんな……いいのかな、オレなんかが、キミのようないい子から……」
　ちくりと胸が痛んだ。
　痛みと共に、粘土細工のようなチョコレートが陽太の胸から飛び出した。
　羽の生えた男の子のようなチョコレートだ。
　慌てて手を伸ばす。
　同じく手を伸ばした朱乃と重なって、チョコレートを握り込んだ。

　手が熱い。
　自分の熱が朱乃に伝わっていくのが、わかった。

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